【和歌山】空海のお母様が暮らした慈尊院(女人高野)&丹生官省符神社へ。どちらも世界遺産
高野山などと共に、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている、和歌山県九度山町の慈尊院と丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)へ行きました。
慈尊院の境内の階段からから丹生官省符神社へ上がるので、セットで訪れることができます。道の駅「柿の郷くどやま」からも近いです。慈尊院の駐車場が狭めなので、道の駅に駐車して歩くのも良いかと思います。
●慈尊院
↑この入り口から入ります。
↑高野山へ続く参詣道の一つ「町石道」の登り口でもあります。
慈尊院は、空海(弘法大師)のお母様が暮らしたと言われている場所です。
お母様は、息子を尋ねて香川県から高野山を訪れに来ましたが、当時の高野山は女人禁制。そのため、ここに居を構えていたとのことです。
「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。
空海は、母に会うため高野山から慈尊院に月に九度も通ったそうです。(実際は九度ではなく、それほど多いという例えだそう)それが、この町「九度山町」の名前の由来になっているとか。
香川県善通寺から我が子、空海を訪ねてこられた弘法大師空海の御母公、玉依御前(たまよりごぜん)が高野山上へ大師を尋ねようとされましたが、当時、大師自から七里(28km)四方を女人禁制としておられたので、山麓の当院へ迎えられました。
大師は、月に九度は必ず高野山上より二十数キロもの山道を下って母公を尋ねられたので、この地名を“九度山”と称されるようになりました。
これにちなみ、慈尊院は子宝、安産、乳がん平癒など、女性の健康にまつわるお寺として多くの女性が参拝に訪れているそうです。
私も、自分と周りの女性の健康を願って、参拝しました。
↑こちらは多宝塔。左奥にある長い階段の先に、丹生官省符神社があります。
↑可愛らしいお地蔵さんがずらり。
↑左手にある本堂で参拝します。私は集めていませんが、御朱印は右側でいただけるようです。
↑有吉佐和子著の小説『紀ノ川』の一説。評価も高いので、読んでみたくなりました。
慈尊院でとりわけ目を引くのが、この絵馬。
↑乳房型の絵馬がたくさんで可愛らしいです。多くの女性の願いが届きますように。
さて、私は愛犬ぽーをスリングに入れて連れて来ていたのですが、お寺の方がぽーを見て「犬下ろしてもいいですよ」と笑顔で声をかけてくださいました。
「あっちにも犬がいますから」と。んん?
奥へ進みます。
↑お庭のように整備されています。
↑漢文の説明書きが。
↑おお!ワンさんがいました!高野山案内犬・ゴンの碑。
ゴンは、慈尊院から高野山へ向かう人を毎日案内していたそうです。ゴン、優しい顔をしています🐶
昭和60年代に、慈尊院近くに住みついていた紀州犬と柴犬の雑種である白い雄の野良犬がおりました。誰が教えたわけでもないのですが、不思議なことにその犬は高野山への参詣者の道案内をするようになったのです。当院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と呼ばれるようになりました。
最初の頃は九度山駅と慈尊院の間を案内するだけでしたが、いつしか慈尊院をねぐらとして、高野山町石道の約20kmの道のりを朝、慈尊院を発って、夕方に高野山上の大門まで道案内し、夜には慈尊院に戻るという毎日を送るようになったのです。
↑慈尊院多宝塔の奥、119段の石段を登って、丹生官省符神社へ。
この石段の途中には、高野山へ続く参詣道「町石道」のスタート地点「180町石」があります。
↑石段を登りきり、鳥居をくぐりました。
↑さて、慈尊院に続きこちらにも犬が。二頭の犬が、空海を高野山へと導いたのだそうです。
空海と犬は縁があるのですねぇ。犬の飼い主としてなんだか嬉しいです。
慈尊院も丹生官省符神社も、わりとこぢんまりとしたスポットではありますが、高野山とセットで訪れるには良いと思います。特に女性には、慈尊院はぜひ訪れていただきたいですね。
個人的には、犬OKという点も含めて印象が良く、気に入りました。
(犬に優しいスポットは、それだけで好きになってしまいます🐶)
↑慈尊院そばのお手洗い前にあった、こうやくんデザインの自販機。こうやくんは、高野山のゆるキャラ。私は一目見た時から、こうやくんは可愛いと思っているのですが(笑)。