元・ふわふわ北京日和

北京住み→日本に本帰国。現在は中国に関係あったりなかったりの気ままなブログ。

【和歌山】出家した父と、その息子の悲話が伝わる苅萱堂(高野山・御朱印)

高野山の苅萱堂(かるやかどう)へ行きました。

高野山には117ものお寺と数々の見所があり、何度か高野山に訪れている私もまだ知らないスポットがたくさんあります。苅萱堂も、初めての訪問です。

 

苅萱堂は、高野山のメインストリート(大門~壇上伽藍~金剛峯寺~一の橋と続く道)沿いにあります。奥之院の入口である一の橋に近く、金剛峯寺からは約1㎞。

 

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↑逆光で写真がイマイチですが、こちらが苅萱堂です。

 

苅萱堂という名前が有名になっていますが、こちらは密厳院(みつごんいん)というお寺の境内にあるお堂の一つなのですね。それを知らず、苅萱堂だけ参拝してしまったのですが、また密厳院さんの方にも訪れてみたいです。宿坊も兼ねているそうですよ。

密厳院 - Wikipedia

 

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↑近づいてみました。内部は撮影禁止です。

 

苅萱堂の苅萱とは、加藤左衛門尉繁氏(苅萱道心)と、その息子石童丸にまつわる、悲しい悲しい物語。

あらすじ:

筑前国の武将、加藤左衛門尉繁氏は、妻と妾の醜い嫉妬心(上辺は親し気に振る舞いながら髪の毛が蛇と化して絡み合う様子)を見て世の無常を感じ、領地と家族を捨てて出家し、寂昭坊等阿法師、苅萱道心(かるかやどうしん)と号して、源空上人(法然)のもとで修行し、高野山に登った。

その息子である石童丸は、母とともに父親探しの旅にでる。旅の途中に出会った僧侶から父親らしい僧が高野山に居ると聞く。高野山は女人禁制 母を麓の宿において一人で山に登り、偶然父親である等阿法師に出会うが、父親である等阿法師ははるばる尋ねてきた息子に、棄恩入無為の誓のために、自分があなたの父親ですと名乗ることはせずに、あなたが尋ねる人はすでに死んだのですと偽りを言い、実の父親に会いながらそれと知らずに戻った。石童丸が高野山から戻ると母親は長旅の疲れが原因ですでに他界していた。頼る身内を失った石童丸はふたたび高野山に登り、父親である等阿法師の弟子となり、互いに親子の名乗りをすることなく仏に仕えたという哀話。

(「苅萱 - Wikipedia」より)

出家して高野山で僧侶となった父に会いに行った石童丸。父に会えたのに、そして父はその子が息子だと知っていたのに、自分が父親であることを名乗らなかった。息子が自分の弟子となってからも、生涯そのことを伝えなかった…。

苅萱堂の内部では、この悲話が絵とともに分かりやすく紹介されていて、まじまじと見入ってしまいました。

そしてこの苅萱堂こそが、苅萱道心が出家し、実の息子である石童丸と共に修行をした場所と伝えられているとのことです。

(参考:名所一覧 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺

 

堂内には、親子地蔵尊が祀られており、これは苅萱道心と石童丸の合作のお地蔵さまと伝えられています。

 

御朱印は、密厳院でいただけます。苅萱堂の方が案内してくださいました。

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密厳院の御朱印もいただけると教えてくださいましたが、また次回拝受しようと思います。

 

話は変わりますが、私はこれまで何度か高野山に来ているものの、いつも車でピンポイントに「奥之院へ!」「金剛峯寺へ!」「壇上伽藍へ!」と行っていたんですよね。

なので、歩いてじっくり散策したことがなかったのですが、今回初めてぶらぶらと歩きまわってみました。

車では気付かないような小さな発見がたくさんありました。

 

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↑このような町石が、1町(109m)ごとに立っています。

 

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↑奥之院の入口、一の橋前に立っているのは十七町。

 

 
 
 
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苅萱堂

住所:和歌山県伊都郡高野町高野山478

www.tripadvisor.jp