元・ふわふわ北京日和

北京住み→日本に本帰国。現在は中国に関係あったりなかったりの気ままなブログ。

【大阪】”聖徳太子創建の宮” 鵲森宮。現在は小さいけれど由緒ある古社(中央区・御朱印)

大阪城の南側、JR大阪環状線&地下鉄中央線・長堀鶴見緑地線森ノ宮駅すぐの場所に鎮座する、鵲森宮(かささぎもりのみや)を訪れました。

聖徳太子ゆかりということで気になっていたこちらの神社。いざ行ってみるととっても小さく拍子抜けするほどの神社でしたが、聖徳太子から続く長い歴史を有する、重要な場所であることを知りました。

 

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玉造筋に面して建つ鳥居。通称は森之宮神社、この辺りの地名「森之宮」「森ノ宮」の由来になっています。

 

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鵲森宮は、聖徳太子によって589年(崇峻天皇2年)に創建されました。

崇峻天皇二年(589年)七月、聖徳太子物部守屋との戦いに必勝を祈願され、勝った暁には四天王像を造ることを誓われました。その戦いに勝利されて、先ず父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を神としてお祀りなさいました。

(「鵲森宮 由緒と祭神」より)

太子は四天王像を造り、この森に元四天王寺を創建。四天王寺はその後現在の場所に移転したが、当社はそのままとされました。

当時は境内も非常に広かったようですが、その後衰退し、現在の小さな姿となってしまいました。しかし、実は1400年以上の歴史を誇る、由緒ある神社なのですね。

(参考:鵲森宮 - Wikipedia

 

また、鵲(かささぎ)という神社名も気になります。

上古難波の杜(もり)と云っていた推古天皇の御代に、難波の吉士磐金(きしいわかね・聖徳太子の命により新羅へ使者として渡る、鉄鋼業の祖)と云う人がいまして、新羅国より還って来て、鵲(俗に朝鮮烏)二羽を献上しました。(「日本書紀」推古六年夏四月の条に載っています)
 この森に飼わせなさったことから「鵲の森]と称え、遂に宮の名となり略して「森之宮」又は「森明神」とも云うようになりました。

(「鵲森宮 由緒と祭神」より)

 

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↑本殿。こちらで二礼二拍手一礼しますm(__)m 大きくはないものの、しっかりした存在感があります。

こちらには主祭神用明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子が祀られています。神社HPには、用明天皇並びに穴穂部間人皇后を祀る日本で唯一の神社、とのことです。

 

また、鳥居をくぐってすぐの所に、摂社の五幸稲荷社があります。壁の由緒書きには、「火難・水難・盗難飢餓・産難を除く、宇賀御魂命を祀る、日本唯一の稲荷社です」と書いてありました。

 

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↑亀井水。

1400年前聖徳太子が当神社を建てるにあたり 温泉が湧いているのを発見。病の人に入湯を許すと病が癒え命を保つと評判になり 門前市をなす賑わいとなった。

と書かれています。

 

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↑亀井水に近づいてみました。

 

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大伴家持歌碑。

 

社務所御朱印をいただきました。

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↑上に押されている小さな印にいる鳥さんは、カササギでしょうね(*^^*)可愛いです。

 

 

鵲森宮

住所:大阪府大阪市中央区森之宮中央1丁目14-4

www.morinomiya.net