【奈良】かつてはならまちも境内地の一部だった、世界遺産「古都奈良の文化財」の元興寺(奈良市・御朱印)
奈良市のならまち周辺をぶらり歩き。
現在は、古い街並みが残る中にレストランやカフェ、ショップなどが立ち並ぶ、人気の観光エリアになっているならまちですが、昔はこのならまち全体が、元興寺(がんごうじ)の境内の一部だったと知りました。
その後衰退してしまったものの、「古都奈良の文化財」として世界遺産にも登録されている元興寺。興味津々で初めての参拝に訪れました。
駅からだと、近鉄奈良駅から徒歩約15分、JR奈良駅から徒歩約20分の位置にあります。
↑あれ、私はどうやら、裏口に入り込んでしまったようです。正門を探します。
↑こんな張り紙が。この辺りでは鹿さんを見ませんでしたが、来ることもあるのかな?
鹿さんの多い奈良公園や春日大社、東大寺の辺りからは少し離れていますが、来ようと思えば来られる距離ですしね🦌
↑「駐輪処」の小さな案内がなんだか可愛くて。
↑はい、着きました。こちらから拝観します。
目の前に見えているのは、東門です。重要文化財に指定されており、元は元興寺極楽坊の正門だったそうです。
東門の左側に、受付があります。拝観料500円を支払い、いざ中へ。御朱印をいただくならば、受付で先に御朱印帳をお預けし、帰りに受け取ります。
元興寺は、飛鳥に蘇我馬子が建立した日本最初の本格的伽藍である飛鳥寺(法興寺)が、平常遷都に伴って、718年(養老2年)に官大寺として移築されたのが始まりです。
明日香村の飛鳥寺と、そんな由縁があったのですね。
かつては、その境内は非常に広く、多くの信仰を集めていました。しかし、1451年(宝徳3年)の土一揆により、金堂などが焼失。その後、焼け跡に民家が建てられていったこともあり、旧境内は町屋街化しました。そして、
現在、「史跡元興寺」として指定されている地域は、奈良市中院町の「元興寺極楽坊」、同市芝新屋町の「元興寺塔跡」、同市西新屋町の「元興寺小塔院跡」の3か所である。
(「元興寺 - Wikipedia」」)
今回私がここに書いているのは、奈良市中院町の「元興寺極楽坊」の一帯にあたる、というわけなのです。
「元興寺塔跡」と「元興寺小塔院跡」は、また別の場所にあります。
↑まず目に飛び込んでくるのが、こちらの建物。ここが、極楽堂(極楽坊本堂)、現在の本堂です。国宝に指定されています。
派手ではないですが、歴史を感じる、静かな趣に魅了されます。
御本尊は、智光曼荼羅。
中に上がって拝観できます(撮影不可)。静かな気持ちで、心を落ち着かせることができる空間でした。
↑同じく国宝の、禅室。
↑僧侶が生活し、修業した場所でした。
↑極楽堂の左手側には、法輪館という大きな建物が。ここは昭和に建てられた収蔵庫で、国宝・五重小塔や重要文化財・阿弥陀如来坐像、重要文化財・聖徳太子立像など、素晴らしい仏像や資料が安置されています。個人的には、ここだけでもかなり満足してしまいました(笑)。
重要文化財の弘法大師坐像は、どこかの博物館に出張中でお目にかかれませんでした😅
↑法輪館前にずらりと並ぶ、多数の石塔。これは何だろう?
↑浮図田(ふとでん)といい、禅室の北西部石舞台に積み上げられていたものを、1988年に現在の形に並べ直したのだそうです。その数2500余基!
↑佛足石。
↑小さな土間の中には、不動尊がいらっしゃいました。
↑ちょっと素敵な手水舎。
↑「振り返って見上げてください」「日本最古瓦」とあるので、振り返ってみると。
↑その位置からちょうど、禅室(手前)と極楽堂(奥)の屋根瓦が見えます!一部、色が違う瓦が見えますよね。
これは、飛鳥時代の瓦なのだそう。すごいなぁ。
↑講堂趾。
↑弁天社。
↑ほぼ散ってしまった桜の木の下に、あれ、どなた様?( ´艸`)
↑かえる石。河内の石べりにあったのを、豊臣秀吉が気に入って、大坂城に移したそうです。その後、「ご縁があってこの寺に移され」たのですって。
↑確かに、カエルのような形をしています🐸そばにはお供のカエルがケロケーロ。
↑万葉歌碑。
↑万葉歌碑のそばには、たくさんの小さな石像物が。このお方、ちょっと怖い(´・ω・)
↑出口受付、可愛いです(´・ω・)
帰りに、受付で御朱印帳を受け取ります。
↑2種類拝受しました。右が、御本尊の「智光曼荼羅」。左が、薬師如来「瑠璃光」で、西国四十九薬師霊場の第5番札所です。
いやぁ、素晴らしい筆。見とれます。
東大寺や興福寺や、唐招提寺といった、超・メジャーどころなお寺に比べると少々地味な存在かもしれませんが、元興寺、個人的には落ち着いていてとても良かったです。
かつての広大な境内が今は一部しか残っていないのが残念ではありますが、ならまちを歩きながら、昔の繁栄に思いを馳せるのもまた一興ですね。