【和歌山】高野山で異彩を放つ、八角形のビルマ塔。成福院の摩尼宝塔(高野山・御朱印)
1月に訪れて以来の高野山へ。
来るたびに気になっていた、何やら異国風の塔。和の宗教都市の中において、異彩を放っています。
↑金剛峯寺と奥之院をつなぐメインストリートの、ちょうど真ん中あたりに位置するこちらの塔。苅萱堂の斜め向かいです。日本でも珍しいという、八角形のお堂。
ここは、成福院(じょうふくいん)というお寺の、ビルマ塔こと摩尼宝塔(まにほうとう)です。ビルマ方面の戦没者を祀るために建てられました。
前回訪れた時は平日で閉まっており、現在は土日のみの開館。日曜日に再訪しました。
↑塔の外にも、小さな仏像が。
↑象さんたち、可愛いです🐘以上3枚の写真は前回、1月に訪れた時の写真で、雪が残っていました。
私がここに訪れたかったのは、中を見てみたいという単純な興味もありましたが、それ以上に、このところミャンマーのニュースを耳にするたびに、心苦しくて(>_<)
私は2017年に、旅行でミャンマーを訪れ、大いに魅了されました。ミャンマーが大好きになり、ぜひまた行きたい場所になりました。あんなに魅力的なミャンマーが、こんなことになってしまって…。
ミャンマーに一日でも早く平穏が戻るように祈りたくて、ミャンマー繋がりで思い出したのがこのビルマ塔でした。まあ、ここは戦没者を祀るために建てられた塔なので、趣旨が違うと言えばそうなのですが💦でも、ミャンマーの平和への願いはきっと聞いてもらえるんじゃないかな、と思って。
日曜日に訪れたら、ちゃんと開いていました。
↑拝観は無料です。入ってすぐ、左手に御朱印所がありますが、お昼過ぎ頃行ったらご不在だったので、後で改めて伺いました。
摩尼宝塔は、成福院の前住職さまの発願で建てられました。
成福院の前住職さまは、
昭和16年、南方仏教研究のためにタイ国に至り、大戦の勃発によって陸軍嘱託としてビルマに進駐。ビルマ各地に日本語学校を設立し教育に挺身、その後ビルマ僧となって修行しました。(ビルマでは身をもって悲惨な戦争を体験)
(「高野山成福院・摩尼宝塔の縁起・ギャラリー」より)
そして、昭和19年、ビルマ国より釈迦仏像と大蔵経を贈られ、無事に帰国。その仏像を本尊として、高野山でビルマ方面戦没者の供養をすることを発願したのだそうです。完成したのは昭和55年のことでした。
(参考:高野山成福院・摩尼宝塔の縁起・ギャラリー)
↑こちらがその、ビルマ(現ミャンマー)から贈られた、御本尊の釈迦如来さまです。
内部には、他にもミャンマーの仏像や資料、ゆかりの品、そして戦争の遺品、ミャンマーの写真などが多数展示されていました。
広くはありませんが、ミャンマーに興味があるのでまじまじと見入ってしまいました。
↑こちらも、ミャンマーの仏さま。
↑大きな仏足。
↑願い事を唱えながら6回回す、とあったので、やってみました。
塔内には地下もあり、「極楽巡り」ができるそうです。しかし、現在は封鎖され、地下には入れないようになっていました。再開するのか聞いておけばよかった!
ネットで地下巡りをした人の口コミを見ると、「お化け屋敷よりも怖い」なんて書かれていて😅どんなものなのか興味津々です。再開されるといいな。
地下室にはさらに、寝釈迦像も安置されているそうです。
御朱印をいただきました。
↑釈迦如来、と書かれています。
御朱印をいただく際に、ご住職さまが気さくにいろいろ話しかけてくださり、梵字の意味など説明していただきました。
「ミャンマーの情勢が心配で…」との話も聞いてくださり、お忙しい中ありがとうございましたm(__)m
摩尼宝塔のお隣には、成福院さんが宿坊を営んでいます。
↑山門。
↑ちょっとお顔がふっくらしている、入山大師。
大きな見所がたくさんの高野山では、なかなかこの摩尼宝塔まで見る人は多くはないと思いますが、ちょっと異彩を放つこちらにも、ふらっと立ち寄ってみてもいいかもしれませんね。
そして、一日でも早くミャンマーに平穏が訪れますように。
成福院