元・ふわふわ北京日和

北京住み→日本に本帰国。現在は中国に関係あったりなかったりの気ままなブログ。

【大阪】現代的な山門が迎える、個性的なお寺に驚き。お骨仏の一心寺(天王寺区・御朱印)

天王寺御朱印さんぽ。JR天王寺駅から徒歩10分くらいの場所にある、一心寺へ行きました。堀越神社からも近いです。

元々大阪人でも関西人でもない私が一心寺を知ったのは、御朱印集めをするようになってから。観光寺院ではないし、近くの四天王寺などに比べたら関西以外ではそれほど有名ではないと思っていたのに、訪れてみたら、参拝客の多さに驚きました。そして、このお寺が放つ独特の個性的な雰囲気にも。

 

堀越神社から徒歩で、地図アプリを頼りに向かった一心寺。山門前に警備員さんたちが何人も立っており、門の中へ入る人、中から出てくる人がこれまた多い。初めて訪れた私は、なんでそんなに人が多いの?イベントでもあるの?なんて思ってしまったほどです。

これが近くの四天王寺ならば、大きい有名なお寺だし、人が多くても警備員さんがいても全く不思議ではないのですが、一心寺について勉強不足だった私は、頭の中にハテナが浮かぶばかり(笑)。それくらい、境内に入る前から、今までのお寺とは違ったインパクトが大きすぎて、不意を突かれていたような感じでした。

 

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↑コンクリートの近代的な門、こちらが山門なのです。1997年完成の、新しい門。お寺には見えませんよね、びっくり。圧倒されます。

 

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↑両脇に立つのは、近代的な解釈を加えた仁王像。西洋の彫刻のようでありながら、確かに仁王さまのお顔をしています。

 

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↑扉に描かれているのは天女。こちらも、近代版といった感じでしょうか。上の仁王像、後ろ姿も迫力があります。

境内は広々としています。コロナ禍ではありますが、参拝客は多かったです。 いや、お盆やお正月などはもっともっと多いのだろうなぁ。

 

一心寺は、浄土宗のお寺。

斬新で近代的な山門にいきなり度肝を抜かれてしまったのだけれど、浄土宗の開祖である法然上人によって1185年(文知元年)に開かれたという、歴史あるお寺です。

法然上人がこの地に草庵(小さなお堂)を作り、「荒陵の新別所(あらはかのしんべっしょ)」という名を付け、日想観(にっそうかん)というお勤めを営んだのが由来とされています。

日想観とは、

観無量寿経」に説かれる修法で、夕陽を見ながら極楽浄土を観想する16観の初観。

(「一心寺 プロフィール 歴史」より)

もう少し詳しい解説が、寺務所でいただいたしおりに記載されていて、

日想観というのは、西方に沈みゆく太陽に向って念仏を称え、極楽往生を願う、観無量寿経というお経に説かれている念仏修行の一つであります

(「一心寺のしおり」より)

その後、1614年(慶長19年)大坂冬の陣では、徳川家康の本陣がここに置かれました。

古い歴史や伝統を残した一心寺でしたが、昭和20年の大阪空襲により、境内のほとんどを焼失。その後、着々と再興され、今に至る、のだそうです。

 

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↑大本堂。御本尊の阿弥陀如来像が祀られています。

 

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↑開山堂。法然上人像が祀られています。

 

さて、一心寺の恐らく一番の特徴であり、参拝客が多い理由でもあるのは、ここが”お骨仏のお寺”だからです。

ここにはなんと、人骨を集めて造立された仏像、お骨仏さまが安置されています。

人のお骨で仏像を造る、というのをそれまで聞いたことがなくて、何とも言えない印象を勝手に抱いてしまっていたのですが、それはちょっと偏見というか、違っていました。

お骨仏の写真はあえて撮りませんでした。骨仏さまの前でお線香をあげる人が後を絶たず、境内には香煙が立ち込めていました。多くの人が、お骨仏となった故人やご先祖に会いに来ているのだ、ということがすぐに分かりました。

ご先祖さまや近しい故人のお骨が、仏さまとなって供養されるのは、とても尊いこと。その仏さまのお姿を前にし、手を合わせることで、いつでも会いに行ける。そんな畏敬と親しみが、ここのお骨仏とその周りの空気から感じられたような気がしました。

宗派を問わず(一部宗派を除く)納骨を受け入れており、遠方からも多く納骨されているそうです。10年分の集まったお骨で、一体の仏像が造られます。

一心寺に縁もゆかりもなかった私ですが、お骨仏を前になんだか不思議な気持ちになって、手を合わせてきたのでした。

 

また、境内には本多出雲守忠朝のお墓があります。こちらはなんと、断酒祈願に訪れる人が多いそうで(゜o゜)

その由来はというと、

本多出雲守忠朝は、徳川家康公四天王の一人といわれた本多忠勝の第ニ子で、関ヶ原の合戦に武功をあげ大多喜五万石に封ぜられていましたが酒を過したため大坂夏の陣(1615年)において討ち死にしました。死に臨んで深く酒弊を悔い死後は酒のために身を誤るものを助けんと誓って瞑目したと伝えられています。爾来、酒封じの神として酒に苦しむ当人や家族の多数参拝するところとなり、酒弊の除滅に信を得ています。墓碑周辺のシャモジは参拝者による断酒祈願。墓碑は、元和2年(1616年)に建立されたものです。

一心寺 ご参詣案内」)

お酒の失敗は怖いですからね…💧

 

さて、御朱印は寺務所でいただけます。少し分かりにくい場所で、境内を2周して探しました(笑)。

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↑こちらです。「ご朱印」の看板が目印。

 

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↑「日想観殿」の文字。とても綺麗な字でお書きいただき、見とれてしまいます。法然上人二十五霊場第7番札所です。

 

さて、一心寺の境内の外に、何やら気になる施設を発見。

 

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↑一心寺シアター俱楽(くら)という場所。

入口からちらりと仏像が見え、誰でも自由に入れそうだったので、ふらりと入ってみると…。

 

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↑!?!?

入ってみてびっくり。まばゆいばかりに輝く仏像が、所狭しと並んでいるのです。

こちらは、三千佛堂。

三千佛堂は一心寺に参詣される善男善女のために開かれた講堂として、平成14年5月に建立されました。この内部、大回廊に、千躰の佛様―「千躰佛」を21世紀中かけて順次造立奉安し、完成致したいと念願しております。

(「一心寺 ご参詣案内」より)

 

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↑その、大回廊の仏像に取り囲まれた内部は、講堂となっています。

地下1階にはシアターがあり、舞台芸術、講演会やワークショップなど、さまざまなイベントが開催されているそうです。

 

これまでのお寺のイメージを覆されるような、個性的で斬新ささえ感じる一心寺でした。

しかし、そこにはちゃんと、法然上人の教えやお寺の人のさまざまな思いが根付いていて、形になっており、だからこそここまで庶民に親しまれるお寺であり続けてきたのだな、ということもひしひしと感じられたように思います。

 

 

一心寺

住所:大阪府大阪市天王寺区逢坂2丁目8-69

www.isshinji.or.jp

一心寺シアター俱楽

住所:大阪府大阪市天王寺区逢坂2丁目6-13

isshinji.net