【大阪】善光寺の阿弥陀如来が出現した”あみだ池”がある、和光寺(西区・御朱印)
この辺りはおしゃれなカフェや飲食店が点在していて、街歩きも楽しいです☕またゆっくり散策してみたいエリア。
↑阿弥陀池公園の向かいに、大きな山門があります。ここが正門かなと思ったのですが、現在はここから入れないようになっています。ぐるっと南側へ回り、車の入口からお邪魔しました。
↑手水舎。んん、何かたくさんいる??
↑カエルさんやら鳥さんやらが集って、賑やかで可愛い手水舎でした🐸🐤水は出ないようになっていたけれど😅
和光寺は、1698年(元禄11年)に創建された、浄土宗のお寺。こちらの創建のエピソードが、とっても興味深くて面白いのです。
境内には、あみだ池という池があり、近くのあみだ池筋という道の名前の由来にもなっています。さて、あみだ池とは何ぞや?
お寺の公式HPは見当たらないため、Wikipediaを参照すると、
長野県の善光寺本尊である一光三尊の善光寺式阿弥陀三尊は欽明天皇13年(552年)、百済国より仏教伝来とともに伝わった、日本最古の仏像とされている。仏教伝来以降、崇仏・廃仏の論争が続く中、廃仏派の物部氏により難波の堀江に棄てられた。
信濃国国司・本田善光が難波の堀江に棄てられた阿弥陀如来をこの池より救った。このことからこの池が阿弥陀池といわれるようになった。後に池から救い出された阿弥陀如来は信濃国伊那郡の若麻績里(現在の長野県飯田市の元善光寺)に祀ったが、皇極天皇元年(624年)に現在の善光寺のある長野市元善町に移した。(「和光寺 - Wikipedia」より)
百済から伝わった日本最古の仏像である阿弥陀如来が、物部氏によって堀江に捨てられてしまった(この時点で既に衝撃。捨てるって!物部さーん!(+o+))。その捨てられた阿弥陀如来が、この池より救われた。その救った人が信濃国の、善行寺の名前の由来となった方だったとは。すごいエピソードだなぁ。
↑簡単な説明書きが、境内にもありました。
↑本堂を近くで。とても立派な建物です。大阪大空襲で焼失した後、1961年(昭和36年)に再建されたのが今の姿です。
↑こちらが、その有名なあみだ池です!ここから、あの善光寺の阿弥陀如来が救い出されたとは…。善光寺にはまだ行ったことがありませんが、ぜひ行ってみたい場所です。
池の周りをぐるっと取り囲むようにお墓が建てられているので、あまり映らないようにっと。
↑石碑の上の方に、「三國傳来信州善光寺如来出現之霊地」とあります。今は周りをビルやマンションに囲まれていますが、昔はもっと神秘的な雰囲気があったのではないかな。
↑池の上に立つ、放光閣。
↑見えにくいですが、亀さんが気持ちよさそうに泳いでいました🐢
↑大きなお地蔵さま。
庫裡で御朱印をいただきました。庫裡は本堂の裏側にあって、ちょっと分かりにくいです。西門から入ってきたらすぐなんですけどね。
ちょうど女性の方が出てこられたので声をかけ、快く対応してくださいました。そういえば、この和光寺は尼寺なんですよね。
↑いただいた御朱印。「あみだ池」の文字が入っているのも嬉しいです。
非常に丁寧に対応いただき、私が帰る時も、「ようお参りでした」と、深々とおじぎをしてくださって。心が温まりました。
私がいただいたのは代表的な御朱印ですが、摂津国八十八カ所第3番札所でもあります。
歴史の勉強にもなり、ご住職さん(かな?)のお人柄にも感銘を受け、気持ちの良い参拝ができました。