【大阪】小さく可憐な弥勒菩薩半跏像に会える。聖徳太子ゆかりの野中寺(羽曳野市・御朱印)
7月18日、道明寺の次に訪れたのは、羽曳野市の野中寺(やちゅうじ)です。
近鉄南大阪線藤井寺駅から、トコトコ歩いて行きました。いやもう汗だくで、途中のコンビニで思わずアイスを買って休憩したりもして(笑)、ひたすら歩きましたが…😅途中葛井寺を通り過ぎ、さらに30分くらい歩いたような気がします。
野中寺に18日に訪れたのも、道明寺と同じ理由がありました。毎月18日に、重要文化財の、金銅弥勒菩薩半跏像がご開帳されているのです★
毎月18日は、道明寺、野中寺、葛井寺と、わりと近いエリアにある三寺で秘仏のご開帳が行われているのですね。時間があるならば、18日に集中して回るのも良さそうです。
(時期によっては、どこかの美術館に出張している場合もあるので、最新情報を確認すべし!)
↑朱塗りの山門。
↑目が大きくてどことなく親しみやすさも感じる、仁王像。
野中寺は、高野山真言宗のお寺。聖徳太子ゆかりの「河内三太子」の一つで、「中の太子」とも呼ばれています。もう2カ所は、「上の太子」叡福寺(大阪府南河内郡太子町)、「下の太子」大聖将軍寺(大阪府八尾市)。
飛鳥時代に、蘇我馬子の助力を得て、聖徳太子が建立したと伝えられます。Wikipediaによると、
伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされる。が、発掘調査によると創建は白雉元年(650年)頃のようである。境内に残る礎石から、飛鳥時代から奈良時代前半には大規模な伽藍が存在したことは明らかで、渡来系氏族の船氏の氏寺として建てられたという説もある。
(「野中寺 - Wikipedia」より)
元々はかなり広い境内を有する大きなお寺だったようですが、南北朝の争乱により伽藍を焼失。現在の境内には、昔を思わせる塔跡や礎石が残っています。
↑山門をくぐると、整備され落ち着いた空間が迎えてくれました。
↑山門を入ってすぐの左側に、塔跡が残っています。
↑本堂。御本尊は薬師如来、この内部に安置されているはずですが、秘仏なので、公開されていません。
↑地蔵大菩薩、とあります。地蔵堂です。この内部は、18日の弥勒菩薩半跏像公開と合わせて拝観できます。重要文化財の木像地蔵菩薩立像が中にいらっしゃいました。
↑毎月18日のご開帳は、こちらから拝観できます。受付で拝観料(300円)をお支払いし、入ります。御朱印をいただく場合は、先に受付に御朱印帳を預けます。
内部の写真は撮りませんでした。
さて、お目当ての金銅弥勒菩薩半跏像。思ったよりもずっと、小さな弥勒さまでした。可愛らしささえ覚えるほど( ´艸`) コロナのため、通常とやや配置は変えてあるものの、非常に近くで見ることができました。
666年(天智5年)の作と考えられ、飛鳥時代後期の特色を備える仏像です。1918年(大正7年)に発見されたそう。飛鳥時代の作と聞いて驚くほど、綺麗な状態で保存されていることに感動しました。
お寺の方も丁寧に対応してくださり、とても気持ちの良い拝観ができました。
拝観を終え、境内を散策。
↑これは何ぞや?
↑ヒチンジョ池西古墳石棺、とありました。
↑こちらは、金堂跡です。
また、本堂の東側奥には、墓地があり、歌舞伎・浄瑠璃の演目「お染久松」のお墓があります。
いただいた御朱印です。たくさん種類があり、この日は4種類を拝受しました。
↑左から、御本尊の薬師如来、聖徳太子御遺跡第5番・中之太子、ご開帳の弥勒さま、特別御朱印の龍護殿。どれも素敵な御朱印です。
中之太子の中央の朱印は、塔跡の礎石の形でしょうか?ユニークですね。弥勒さまの御朱印、右上に仏像のお顔のスタンプが!可愛いです☺
小さく可憐な弥勒菩薩像にお目にかかれて、駅から汗だくで歩いて行った甲斐がありました(笑)。道明寺と合わせて、またいつか18日に会いに来たいです。
野中寺