【滋賀】昔ながらの風景が残る水郷の町、八幡堀をぶらり(近江八幡市)
滋賀・近江八幡一人ぶらり歩き。
日牟禮八幡宮の辺りには、八幡堀(はちまんぼり)というエリアがあります。
昔ながらの街並みが残り、水路がある水郷の町。近江商人のふるさとでもあります。
私は今回、ここに時間をかけなかったので、あまりじっくりとは回れませんでしたが、短時間の滞在でも風情を感じることができました。
↑この日は良いお天気。川面に写る空が絵になりました☺
↑夕方近く、人もあまりいなくて静かでした。一人で静かに、景色を眺めます。
船に乗って水郷巡りもできます。私はしませんでしたが。
九州出身の私は、水郷の町といえば、福岡の柳川を思い出します。しかし、柳川に行ったのは中学生の頃の1回だけでした😅もう、記憶もかすかにしかありません(笑)。あとは、中国で上海郊外にいくつか水郷の町があるし、蘇州も行ったなぁ。
で、この八幡堀。
安土桃山時代に豊臣秀次が八幡山城を築城した際、市街地と琵琶湖を連結するために造られた。城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と、当時の物流の要であった琵琶湖の水運を利用する商業的役割を兼ね備えた。八幡堀により船や人の往来が増えたことで商業が発達し、八幡山城廃城後の江戸時代には、近江商人(八幡商人)による町の発展に大きな役割を果たした。町は大阪と江戸を結ぶ重要な交易地として発展し、堀沿いには裕福な豪商たちの白壁の土蔵や旧家が建ち並ぶ。
(「八幡堀 - Wikipedia」より)
↑カンザス州レブンワースは、近江八幡市と兄妹都市だそうです。それは、ヴォーリズという人の出身地だから。
アメリカから英語教師として近江八幡に来たウィリアム・メレル・ヴォーリズは、建築家でもあり、多くの洋館建築を残しています。また、メンタームで知られる近江兄弟社の創業者でもあるのですね。日本国籍も取得しています。
↑このような、昔ながらの街並みが残ります。
↑森五郎兵衛邸。中には入れませんでした。
↑近江商人のふるさとです。
↑魚屋町と書いて、うわいちょうと読むらしい。このように、ユニークな町名がたくさん見られました。なんとなく、北京の胡同を思い出しちゃいました。胡同も昔ながらの街並みで、それぞれの胡同の名前がユニークだったなぁ。
↑近江兄弟社の本社も、八幡堀にあります👀知らなくて、歩いていたらいきなり目の前に現れて、そうかそうかーと一人で感動していました(笑)。1階の資料館に入りたかったけれど、このタイミングはすでに閉まっていて入れず残念。メンターム製品には、よくお世話になってます!
風情のある街並みを、マイペースに散策して楽しめました。
が、個人的にはもっと、一人でも入れて時間を過ごしやすいカフェやショップがもっとあってほしかったなぁ、なんて思いました。私が見つけられていなかっただけかもしれませんけれどね。
良い感じのカフェでまったりでもできたら、もっとこのエリアが好きになったのにな、なんて。
飲食店は何軒かありましたが、なんとなく一人で入りにくくて。まあ、コロナのまん延防止重点措置中ということもあり、時短営業や休業のお店も多かったみたいです。アルコールの提供も自粛されていたし。
それにしても、夕方過ぎ頃までは開いていてほしかったけれど、やっと行きたいカフェを見つけたと思ったら既に閉店していたり。
八幡堀に限らず、今回の近江八幡一人ぶらり旅は、食事にとっても困りました(苦笑)。まあ、まん防中に来る方が良くないのですけど…。
まん防中で仕方ない点はあるにしろ、そもそも一人で入りやすいお店が少ないなぁーという印象が否めずでした😅
滋賀はまだまだ行ったことのないエリアばかりなので、遠くはないし、また近々開拓しに来たいです♡