【大阪】”足の神様”に足の健康を願って。足のお守りや絵馬もある!服部天神宮(豊中市・御朱印)
阪急宝塚線服部天神駅と、住吉神社との間にある、服部天神宮を参拝しました。「足の神様」として有名な神社です⛩
駅から歩いて行くと、裏門が近くてそちらから入ってしまいましたが、正面鳥居はこちらから入った所にありました↓。
↑ドーンと目立つ、「足の神様」👣
↑参道を進んでいくと、正面鳥居が見えます。
↑まず手前にあったのは、こちらの小さなお社。祖霊社と招魂社がありました。
↑中央にあるのは、川辺左大臣藤原魚名という人お墓だそうです。
いただいてきた説明書きによると、この方は、藤原鎌足のひ孫さん!延暦元年、大宰府に左遷となった道中病に伏し、この地にて逝去。
このことは、神社の御由緒にも関係しています。
服部天神宮は、創建の時期は明らかではありませんが、朝鮮から渡って来た秦の人々に遡るようです。
渡来人の集団「秦氏」が允恭天皇の御世(412年 - 453年)に織部司に任じられ、当地を服部連の本拠とした際、外来神の少彦名命(医薬・病気平癒・健康の神様)を小さな祠にお祀りしたことが服部天神宮の始まりです。
(「足の神様 服部天神宮 大阪豊中市の神社」より)
少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られていたのにどうして、「天神宮」なのかというと、やはり菅原道真さんが関係していました!
菅原道真が大宰府へ左遷され、任地へ赴く途中、この地で持病の脚気(かっけ)が発症し動けなくなってしまいました。
そこで、村人の勧めで少彦名命を祀る祠に平癒を祈願したそうです。
菅公が天神祠へお参りされますと、境内近くの路ばたにある五輪塔が目にとまりました。そして、その五輪塔がこの時より百年程の昔に太宰府へ左遷される途中、病に臥され、遂にこの地にてなくなられた川辺左大臣、藤原魚名公のお墓であることをお知りになった菅公は「昨日は他人の身、今日は吾が身にふりかかる定めか」と、天神祠にご自身の足病平癒を祈願されるとともに、魚名公のお神霊もねんごろにとむらわれました。
(「足の神様 服部天神宮 大阪豊中市の神社」より)
すると、不思議と痛みやむくみが治り、健康を取り戻して大宰府に無事着くことができたと伝わっているとのこと。
菅原道真の没後、ここに菅原道真を合祀し、服部天神宮と呼ばれるようになりました。そのため、御祭神は少彦名命と菅原道真となっています。
とってもユニークな歴史を持つ神社だったのですね👀
↑正面鳥居⛩
↑立派な手水舎です。案の定、コロナ予防のため手水は利用できなくなっていますが。
↑手水舎の中には、立派な菅原道真公の像が!
↑奥には、大きな草鞋が積み上げられていました(゜o゜)
↑拝殿。鮮やかな朱色が映えて輝く、とても立派で綺麗な、素敵な社殿です☆
↑拝殿の隣には、もう一つ立派な社殿があります。こちらは、末社の豊中えびす神社。
↑拝殿は昭和55年竣工、社殿は平成29年竣工。まだ新しく綺麗ですね。
↑境内の初酉稲荷社。
↑中に入ってみると、干支の十二支稲荷にお参りできるようになっていました。
↑中央のお社は酉。周りには、酉以外の十一支を祀っています。
↑天神さんなのに牛さんがいないなぁと思っていたら、拝殿前に隠れていました🐂これまでに灯されたろうそくの火のせいか、お顔が黒くなっています🐮
↑大きな干支の大絵馬🐯こんなに優しい表情の寅さん絵馬は珍しいかも?
↑梅が咲き始めていました。天神さんにはやっぱり梅の花ですね❁
↑私が最初入ってきた裏門。
↑裏門側には、こんな「健脚祈願」が👣
↑とあるので、私も靴を脱いで座ってみました。
↑御由緒が紙芝居風に表示されています。
↑豊中えびす神社の裏には、たたき板。えびすさんを祀る神社で時々見かけますね。
↑私も叩いてみました🔔
↑社務所には、足にまつわる御守や絵馬がたくさん!この、草鞋型の絵馬、可愛いです👣お守りの種類も多くて、特に「スポーツ上達守」や、サッカー守に野球守など、足にちなんだお守りがいろいろと揃っていました。
ペットお守りもありましたよ🐶ペットも足は超大事!ですからね🐾
飾られた絵馬を見ていると、羽生結弦選手の足の平癒を願った絵馬がとっても多かったです。ファンの力ってすごいなぁとつくづく。
服部天神宮と豊中えびす、2種類の御朱印がいただけます。丁寧に直書きしてくださいました。
↑服部天神宮の御朱印は、天満宮(天神宮)のアイコン的な梅の花と、わらじの朱印がとっても可愛いです❁👣足の神様とすぐに分かる御朱印ですね😆
居心地が良く、雰囲気の良い神社でした☺
これからも足を守っていただけますように🐾🐾🐾
服部天神宮