【和歌山】「稲むらの火」の舞台の神社、廣八幡宮へ初詣。素敵な切り絵御朱印も(広川町・御朱印)
2023年になり、年始の休みに白浜方面へ小旅行(県内ですけど(笑))。
途中、廣八幡宮へ初詣に立ち寄りました。和歌山の広川町に鎮座しています。初めての参拝。
Instagramでよく拝見していて、素敵な御朱印も授与されているし、行ってみたかった神社の一つです⛩ 愛犬ぽー🐶も一緒に、車で伺いました。
駐車場に車を停めて、初詣でにぎわう境内へ。
↑朱色の立派な楼門にびっくり!重要文化財に指定されています。青空に映えますね。
↑楼門前で、ぽー🐶をパチリ。
廣八幡宮の創建は不詳ですが、なんと
神功皇后が三韓を征しての帰途、この有田広村にも行幸されたというご縁があり、欽明天皇(6世紀中頃在位)の御代に、河内国誉田八幡宮より勧請されたと言い伝えられています。
(「御由緒」より)
とのことで、かなり古くからあると思われます。誉田八幡宮とご縁があるのですね!誉田八幡宮も素敵な神社でした。
豊臣氏の紀州征伐により一部焼失したものの、その後紀州徳川家の保護を受けて再興していったのだそうです。
八幡宮なので、御祭神はもちろん應神天皇(誉田別命(ほんだわけのみこと))。そして、神功皇后(気長足姫命(おきながたらしひめのみこと))、仲哀天皇(足仲津彦命(たらしなかつひこのみこと))です。
そしてここは、「稲むらの火」でも有名な神社です。私はよく知らなかったのですが、HPによると、
安政元年、大津波が広村(現在の広川町)を襲った際、濱口梧陵は稲むらに火を放ち、村人を高台に避難させました。この「稲むらの火」で村人が避難した神社がこの廣八幡神社です。
廣八幡神社では稲むらの火・濱口梧陵に関連する行事や防災への取り組みを行っています。
このことから、現在も毎年10月第3土曜日に、稲むらの火祭が行われています。
さらに、「「百世の安堵」〜津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産〜」として、日本遺産にも認定されました。防災遺産として初めて日本遺産に登録されたのだそうです。
元日の初詣ということで、多くの人でにぎわっていたものの、それほど混雑はしておらずお参りしやすかったです。おそらくほとんどが地元や近隣の人でしょうね。地元で親しまれている神社という感じに、心が温かくなりました。
↑手水舎。お花と折り鶴が可愛いです。
↑写真右が拝殿、その奥が本殿です。写真左は、摂社の天神社。全て、重要文化財に指定されています。拝殿と本殿は室町時代の創建と考えられており、天神社は江戸時代1652年の建立とのこと。
本殿の両脇には小さな、若宮社と高良社がありました。これらも重要文化財。
↑神輿庫(みこしこ)に、金のお神輿が!説明書きにあるように、1805年(文化3年)、長崎県五島列島より奉納されたものなのだそうです。なぜ五島列島?と思ったのですが、広川町と、五島列島の奈良尾町(現在の新上五島町)とが姉妹都市なのですね。
↑他の参拝客がなでていたので、気になって私たちもなでました( *´艸`)手前が福石、奥が五島石。
「五島石」(画像右)は、江戸時代に広川町の姉妹町・九州五島列島奈良尾町(現在の新上五島町)へ出稼ぎに行った人たちが記念に持ち帰ったものと伝えられています。明治中期ごろまでは青年の力くらべにこの石が利用されました。「福石」(画像左)は、この石を持ち上げた人の記念として奉納されたもので、触ると福があると言われています。
もう少しゆっくり境内を散策したかったのですが、元日で人も多いため、石をなでて終了しました(笑)。鯉が泳ぐ池もありましたよ。
参拝を終え、御朱印を拝受しました。お正月の切り絵御朱印をいただきました。
↑今年の干支、うさぎさんと松竹梅があしらわれた、とっても素敵な御朱印です🐰いただけて嬉しい(*^_^*)
稲むらの火を描いた御朱印帳もありました。通常御朱印はいただかなかったけれど、次回のお楽しみにします。
重要文化財の社殿、温かな雰囲気、稲むらの火からの防災への取り組みなど、印象に残る素敵な神社でした⛩
廣八幡宮
住所:和歌山県有田郡広川町上中野206
https://hirohachimanjinja.or.jp