元・ふわふわ北京日和

北京住み→日本に本帰国。現在は中国に関係あったりなかったりの気ままなブログ。

贋作を寄贈し続けた男に迫るドキュメンタリー映画『美術館を手玉にとった男』

映画鑑賞記録。ドキュメンタリー映画『美術館を手玉にとった男』をAmazonプライムで観ました。

いやあ、語り口は単調で淡々と静かですが、その中身はなかなかに衝撃的なものでした。面白かったです。

 

『美術館を手玉にとった男』(2014年米)

原題:Art And Craft

監督:サム・カルマン、ジェニファー・グラウスマン

出演:マーク・ランディス、マシュー・レイニンガーほか

 

Amazonプライムの視聴ページはこちら↓ 

Amazon.co.jp: 美術館を手玉にとった男(字幕版)を観る | Prime Video

 

日本公式サイト(予告編動画が再生されます)

映画「美術館を手玉にとった男」公式サイト

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2011年、アメリカの20州、46館の美術館で、大量の贋作が収蔵・展示されていることが分かった。これは、マーク・ランディスという男が制作した精巧な贋作で、ピカソマグリットからウォルト・ディズニーらの絵画、さらには文書の偽造までを手掛けていた。マーク・ランディスは贋作を制作し、美術館に寄贈する、自称”慈善活動”を長年続け、多くの美術館を騙してきたのだ。

不可解な行動を起こしたマーク・ランディス本人に密着し、同時に”騙された”関係者のインタビューを交えながら、ランディスの素顔と社会との関係に迫る。

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実話のドキュメンタリーで、本人や実際の関係者が出演しています。 

 

Amazonプライムで見つけてなんとなく面白そう、と思ってなにげなく観てみたら、予想とはいい意味で違った印象で、なんだか不意を突かれ、度肝を抜かれました。そして、マーク・ランディスという人の行動心理や、贋作の意義や是非、そして美術鑑賞という行為そのものについても考えさせられました。私たちは何を理由に、一つの作品を「素晴らしい」と感じるのだろうか。

邦題(この邦題も嫌いです(笑))とサムネイルからは、美術館で何やら詐欺を働いた悪人が主人公だと勝手に思い込んでいたのですが、マーク・ランディスという人の人物像も、彼が行ったことも、そうではありませんでした。

 

 

(以下少々ネタバレあり)

 

 

 

作中でも関係者が言っていますが、ランディスの奇妙なところは、「お金が目的ではない」ということでした。普通、贋作を作る目的として真っ先に思い浮かべるのは、不当な値段で売ってお金を儲けることでしょう。それだと詐欺にあたり、罪に問われます。

しかし、ランディスは違いました。なんと自分が描いた精巧な贋作を、無償で美術館に寄贈するのです。金銭は一切受け取っていないため、犯罪にはなりませんでした。本人も「自分は悪いことはしていない」と言います。

ランディスが各美術館に寄贈した”名画”を、目の肥えたキュレーターたちは贋作だと気づきませんでした。多くの美術館が「騙された」と言うのですが、オクラホマシティの美術館職員だったマシュー・レイニンガーが、贋作であることを見抜き、事件は明るみに出ます。前述の通り、金銭授受がないためランディスは起訴されませんでしたが、レイニンガーはその後ランディスを追い続けます。

 

作中では、マーク・ランディス本人に密着しています。ランディスはお金が目的ではないので詐欺事件の犯人ではないし、世間を困らせてやろうと考えているような明らかな迷惑犯にも見えません。なので、ランディスの人物像が見えてくると、どこか拍子抜けしたような感じを覚えます。そして、なぜこのようなことをするのか、知れば知るほど分からなくもなってきます。

幼い頃から美術展のカタログを模写するなどして、絵を描いてきたランディス。一人暮らしのおじいさんで、その部屋には作品や画材があふれています。若い頃精神科に入院したことがあり、カルテには統合失調症とも書かれていました。撮影当時もメンタルクリニックに通院しているが、少なくとも作中で垣間見える彼の生活は孤独で、親しい人もいなさそうです。

話し方は小さな声でゆっくりと、弱々しく。しかししっかりと、自分の言葉をひたすらつないでいっているような印象です。人と会話をしていても、どこかかみ合わなさがあります。自分に自信がなさそうに見えますが、彼の中で大きな葛藤(特に家族に対して)もあったのだろうなとも思えます。

 

そんな彼の制作風景もユニークです。古いテレビを見ながら、模写したり、それらしく見せるためにコーヒー粉末を塗りたくったり。ウォルマートで買った額に作品を入れて「1億円の作品に見える」と言ったり。どう見ても、「芸術に情熱を燃やして制作に没頭する」芸術家には見えません。それどころか、とっても適当にすら見えます。それなのに、美術館の学芸員が気付かないほど精巧な贋作を作り上げる。技術は素晴らしいのだと思います。

しかし、彼本人が言っていました。自分は芸術家ではない。自分がやっていることは「図画工作」にすぎないのだと。

そんな彼の贋作を集めた個展が開かれます。来客は彼に口々に言います。「あなたの技術は素晴らしい。贋作じゃなくてオリジナルを作ればいいのに。作品に自分の名前を刻むべきだ」と。

この個展での、彼の来客や関係者との会話の様子もなんだか奇妙で、彼の人物像をいっそうユニークなものにしています。

 

オリジナルとは何だろう。作品の価値とは何だろう。そして、作品を鑑賞する一般の私たちは、作品の何に価値を見出しているのだろう。

ランディスは高い技術を持ちながら、自分のやっていることは「図画工作」だというが、芸術家の価値や定義は何なのか。もちろん、彼にオリジナリティや創造性はないのだが…。

美術館を騙したランディスは悪者で、騙された美術館や学芸員たちは被害者か?彼の慈善活動を疑いもせず精査も不十分だったのに、贋作だと分かった途端ランディスを許せないと責め立てる。彼は慈善活動だと言うし、犯罪にもならないが、善い行いと悪い行いの境界線はどこにあるのか。

 

…などと、いろいろと考えさせられました。

作品自体は、派手な見せ場もなく淡々としたものでしたが、なかなかに面白かったです。