【大阪】不思議な名前が気になる!どんどろ大師善福寺(天王寺区・御朱印)
玉造周辺で御朱印さんぽ。
三光神社から西に歩いてすぐの所に、「どんどろ大師」という不思議な名前で呼ばれているお寺があります。ここが、善福寺(ぜんぷくじ)。
↑十字路の交差する場所にこの門が見えるので、分かりやすいです。一見、お寺っぽくない門構えです👀
↑門の前にあるこの像。歌舞伎「傾城阿波の鳴門」の舞台となっていることから、門前に祀られています。お寺でいただいた略縁起によると、21日弘法大師のご縁日に、どんどろ大師の門前で導かれたように巡礼姿の娘と思わぬ再開を果たした、お弓・おつるの母娘の場面とのことです。
さて、どんどろ大師という不思議な名前が気になるこのお寺。
善福寺は元々、大阪府豊能町にあった高野山真言宗のお寺でした。Wikipediaには、聖徳太子が開創したとあります👀
明治時代になり、経済基盤の多くを失って、寺運は急速に傾いてしまいました。1909年、現在の場所であるどんどろ大師へ移し、寺号は「どんどろ大師善福寺」となりました。
どんどろ大師の名称は、こう伝えられています。
江戸・天保の頃、大阪城代である土井利位の屋敷がこの近くにあり、土井利位はここに祀られている弘法大師に帰依し、度々参拝していました。そこから「土井殿大師(どいどのだいし)」の名が起こり、それがどんどろ、と転訛した、のだそうです。どいどの、どんどろ。
(参考:現地でいただいた「どんどろ大師善福寺略縁起」、善福寺 (大阪市) - Wikipedia)
そしてこの辺りも、大阪冬の陣で真田幸村が真田丸を築いた一帯といわれており、大阪冬・夏の陣ともに激戦地であったそうです。
境内はこぢんまりとしています。
↑大師堂。大坂夏の陣の戦死者の霊を弔うために創建されました。
↑勝軍地蔵尊。大きくてびっくり!剣を持っているお地蔵さま、初めて見た気がします。
Wikipediaによると、1907年、日露戦争病死者記念仏として開眼されたそう。
本堂と寺務所は2階です。
↑2階に上がりました。上には立派な扁額が掲げられています。
入っていいのかしら、と扉越しに覗いたりして挙動不審な私💦…と、中から「どうぞ~」と優しく声をかけてくださり、お邪魔しました。
本堂には、御本尊の弘法大師が祀られています。内部の写真は撮っていませんが、綺麗なお堂でした。1945年に空襲で焼失し、1984年に再建され現在に至ります。
ご住職さんと親族の方でしょうか、とても気さくに対応してくださり、「どんどろ大師」の由来を紹介してくれました。
御朱印をお願いしたところ、待っている間にお茶をいただいてしまって🍵御朱印巡りでお茶を振舞っていただいたのは初めてで、優しい対応に癒されました(*^-^*)
↑いただいた御朱印です。摂津国八十八カ所の第11番札所にもなっています。
小さなお寺さんですが、優しい対応にとても心が温まりました。ありがとうございました🙏
善福寺