【奈良】”おまんじゅうの社”もある!?徳川家康にもゆかりの漢國神社(奈良市・御朱印)
奈良市をぶらり歩き。
近鉄奈良駅から徒歩3分ほどの場所に鎮座する、漢國神社(かんごうじんじゃ)を訪れました⛩ここ、来てみたかったのです。
↑近鉄奈良駅から南北に延びる大通り、「やすらぎの道」沿いに鳥居が構えられているので、分かりやすいです。
鳥居の前に、左右に2つの社標が立っています。一つは、漢國神社。そしてもう一つは、「饅頭の祖神 林神社」。饅頭?とっても気になります。こちらにぜひ訪れたいと思ったきっかけでもあります🎵
↑参道を進むと、このような門が。なんだかお寺のような雰囲気のある門です。神社の境内でこのような造りは初めて見ました。
漢國神社は、飛鳥時代の推古天皇元年(593年)、勅命により大神君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が大物主命(おおものぬしのみこと)に始まります。その後、養老元年(717年)には、藤原不比等が大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を合祀しました。
…あれ、大神君白堤って、近くにある率川神社を創建した人ではないですか。しかも、年代も593年と同じ!
率川神社は「奈良市最古の神社」ということでしたが、この漢國神社も同じ年。ほぼ変わらない、長い歴史を有しているのですね。
↑門をくぐると、桜が迎えてくれました。結構散りつつありましたけれど🌸
↑手水舎。
↑鳥居、その奥は拝殿・本殿です。社殿の写真がうまく撮れず、見づらくなってしまいました💦
境内は広くはなく、こぢんまりとしています。この日は週末でしたが、メインの観光エリアとは違ってこちらに来る人はあまり多くないのでしょうか。一人で静かに参拝できました。
↑本殿は、1610年(慶長15年)頃の建立だそうです。
そしてここに、何やら興味深いことが書いてあります。徳川家康にゆかりがあるとか…?神社HPには、こうあります。
慶長十九年十一月十五日、大坂陣の際、徳川家康公木津の戦に破れ当社境内の桶屋に落忍ばれ九死に一生を得給う。
依って報賽祈願の為翌十六日当社に御参拝、御召鎧一領を御奉納遊ばさる。(由緒 | 漢國神社より)
家康は境内の桶屋の桶に隠れて、追ってきた真田幸村とその配下に見つかることなく、九死に一生を得たといわれており、その後漢國神社に参拝して自らの鎧を奉納した、のだそうです👀
鎧は現在、国立奈良博物館で保管されています。
家康とそんな繋がりがある神社だったとは!
そして、漢國神社の境内で見逃せないのが、社標にもあった林(りん)神社。おまんじゅうの神社なんて聞いたことがなくて、興味津々です🎵
↑境内にひっそりと、ありました!林神社。
↑お社の左右に、ちゃんとおまんじゅう(*^^*)小さなお社で、可愛いです。
↑狛犬さんが、おまんじゅうを守っているようにも見えます( ´艸`)
↑饅頭塚。
そもそも、なぜここでおまんじゅうが祀られているのかというと…。
正確には、おまんじゅうではなく、”おまんじゅうの祖”をお祀りしているのですよね。
林神社は我が国で唯一の饅頭(まんじゅう)の社。林浄因命は中国淅江省の人で、詩人・林和靖(りんなせい)の末裔。
貞和5(1349)年に来朝し漢國神社の社頭に住まれ、わが国最初の饅頭(まんじゅう)をお作りになり好評を博しました。
その後、足利将軍家を経てついには宮中に献上するに至りました。(まんじゅうの社 | 漢國神社より)
とのことで、御祭神は林浄因命(りんじょういんのみこと)です。
まんじゅうの由来なんて考えたこともなかったけれど、中国からやって来た人が、奈良のこの地で、日本で最初にまんじゅうを作り売り出したのですね。びっくり!
毎年4月19日には、例大祭(まんじゅう祭り)が行われ、全国から菓子業者が集まるのだとか。(コロナ禍で、まんじゅうの振る舞いの中止など、規模が縮小されているようです)
↑八王子社。
小さな神社ですが、徳川家康におまんじゅうと、ユニークなエピソードを持つ興味深い場所でした。
↑オリジナル御朱印帳も拝受しました♡ネットで見かけて、欲しかったのです~。だって表紙にはさりげなく、おまんじゅう!御朱印帳のデザインは多種多様ですが、おまんじゅうが描かれた御朱印帳なんてなかなか他に見当たらないのではないでしょうか。可愛い💛
…と、境内を後にして気が付いた。
御朱印帳の1ページ目に書いてもらうはずが、表紙と裏表紙を間違えて、裏表紙からめくった1ページに書かれてしまったのでした!ありゃりゃ~(´・ω・)
まあ、これはこれで良いです。気にしない気にしない(笑)。
漢國神社