【大阪】三好長慶が創建、千利休が修行した名刹・南宗寺(堺市・御朱印)
堺の名刹として有名な、南宗寺(なんしゅうじ)を訪れました。ここはぜひ行ってみたいと思っていた場所です。
私はレンタサイクルで訪れました。堺はレンタサイクルがとっても便利!電車の場合は、阪堺線御陵前駅からすぐです。
↑この山門から入りました。駐車場はまた別の場所です。
この中が南宗寺そのものだと思っていたのですが、足を踏み入れてみると、広い敷地内には塔頭などのお寺が何軒か立ち並んでおり、一番奥の方に南宗寺の受付がありました。
この日は週末でしたが、境内は人が少なく、とっても静か。じっくりと落ち着いた気持ちで過ごすことができました。
南宗寺は、臨済宗大徳寺派のお寺。戦国武将の三好長慶が、父・元長の菩提を弔うため、1557年(弘治3年)に創建しました。
1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で焼失してしまいましたが、その後1619年(元和5年)に当時の住職であった沢庵宗彭らの尽力により、現在地に再建しました。
また、千利休はこの寺で修業し、わび茶を大成させたといわれています。
(参考:「南宗寺 - Wikipedia」、南宗寺パンフレット)
↑まず目を奪われるのが、この立派な山門です。長い年月を感じさせる佇まい。
↑「甘露門」と呼ばれています。重要文化財で、1647年(正保4年)の建立です。
↑甘露門の前には、「南宗寺開基 戦国之天下人 三好長慶公坐像建立約束之地」の文字が。
↑そして、三好長慶の像があります。
↑広い境内には緑が多く、よく手入れされていて趣がありました。
↑奥の方にやっと、南宗寺の入口を発見。
↑ここからお邪魔します。
この先に南宗寺の拝観受付があり、拝観料が必要です。大人400円。そして、その先は撮影禁止です。
受付の方が非常に感じが良くて温かい対応をしてくださり、気持ちよく参拝できました。ボランティアガイドさんが説明をしてくれる時もあるようですが、私が訪れた時はガイドさんはいませんでした。コロナの影響でしょうか。
さて、南宗寺の境内。受付でいただいたパンフレットに境内地図が書かれてあり、それにそって順路を進んでいくのですが、迷路のようで迷いながら歩きました(笑)。見所が多く、人が少なかったため落ち着いて心ゆくまで過ごさせてもらいました。
写真がないのが残念ですが、境内の見所は…
・千利休一門の供養塔
・三好長慶一族の墓
・石庭(枯山水)
それほど大きくはありませんが、とても落ち着く空気が流れています。
・茶室「実相庵」
千利休好みの茶室。
そして驚くのが、
・伝説の家康の墓
ええっ、家康の墓って日光東照宮じゃないの?と、思いますよね。ところが、
「南宗寺史」には「(家康が)大坂夏の陣で茶臼山の激戦に敗れ駕籠(かご)で逃げる途中、後藤又兵衛の槍(やり)に突かれた。辛くも堺まで落ち延びたが、駕籠を開けてみると既に事切れており、遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬した」との伝説が紹介されている。
こちらも参考→【大阪特派員】堺に残る家康の墓伝説 山上直子(1/2ページ) - 産経ニュース
あくまでも伝説であり、想像の域を出ないものではありますが、歴史の謎にあれこれ思いを馳せてみるのも面白いです。旧東照宮の表門である唐門は重要文化財で、三つ葉葵の紋が刻まれています。
さらに、私が一番印象に残っているのは、
・仏殿
です。仏殿は1653年(承応2年)の建立で、御本尊の釈迦三尊像を安置しています。
暗い仏殿に足を踏み入れて、天井を見上げると、そこにははっと息をのむほどの絵が。狩野信政による、「八方睨みの龍」が描かれています。これが素晴らしかった。
名前の通り、どこから見ても龍に睨まれているように見えます。迫力があって、ずっと見ていても飽きないくらいでした(首が疲れるけれど(笑))。この天井画を見ただけでも、来て良かったなと思えました。
南宗寺の境内の散策を終え、また敷地内をぶらぶら。
↑外から見た仏殿。
↑横からも。
↑千利休遺愛の、椿の井戸。
↑天慶院。拝観はできません。
↑本源院。こちらも、拝観はできません。
↑弁財天堂。
↑鳥居をくぐって、弁財天さんにご挨拶。
↑白い花が可愛く咲いていました。
南宗寺の御朱印は、受付でいただけます。
↑臨済宗のお寺で御朱印をいただくのは初めてです。中央の墨書きは「大雄宝殿」と書かれています。
堺の歴史に不可欠である重要なお寺は、その由緒を体全体で感じることができる場所でした。お寺自体はそれほど大きくはないかもしれませんが、見所が詰まっていて、個人的にはとても感銘を受けました。
古墳だけではないですね。面白いなぁ、堺。
南宗寺