元・ふわふわ北京日和

北京住み→日本に本帰国。現在は中国に関係あったりなかったりの気ままなブログ。

【滋賀】信長の夢のあと、安土城跡(日本100名城)と摠見寺。天下布武の御朱印がカッコよすぎる!(近江八幡市・御朱印)

滋賀・近江八幡一人ぶらりの続き。JR近江八幡駅から一つ隣の安土駅で下車し、北口に降り立つと、そこには…。

 

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↑じゃーん!織田信長公の像がお出迎えです。

 

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銅像の背後から。駅舎には、安土城の在りし日の姿を想像させる、巨大な壁画(?)が出現しています🏯

そう、この日の最初の目的地は、安土城跡🏯

安土駅からはやや距離があるので、駅前の「レンタサイクルたかしま」さんで、レンタサイクルを借りました。自転車だと約10分。料金は後払い、4時間使って1000円でした。うーん、ちょっと高いなぁ💦

安土駅前レンタサイクル たかしま|HOME

 

自転車を地図に従って走らせ、到着。

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↑このこんもりした小さな山がまさに、安土城跡がある場所です。標高199mの安土山。

周辺は田んぼなど非常にのどかな景色が広がり、かつてここにお城があり、あの信長がいたとは、なかなか想像がつきません(笑)。

 

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↑手前の可愛いチャリンコが、この日の私のマイカー🚲

 

安土城は、織田信長が1576年(天正4年)に天下統一を目標に築城、3年後の1579年(天正7年)に完成しました。

しかし、その後本能寺の変山崎の戦いが起こり、混乱の中城は焼失。みるみるうちに落城してしまいました。

現在は、安土城跡として整備されています。日本100名城でもありますね。

城郭内には、織田信長が自らの菩提寺として創建した、摠見寺(そうけんじ)というお寺があります。摠見寺は、主要な建物をほとんど焼失しましたが、重要文化財の三重塔と二王門はその姿を残しています。

摠見寺で拝観料を支払い、安土城跡を見学できるようになっています。

 

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↑こちらから、いざ安土城(跡)へ🏯!城攻めじゃー!🏯(違う(´・ω・))

拝観料は、大人700円、子供200円。

摠見寺の御朱印もいただけます。こちらで御朱印を預け、帰りに受け取りますよー。

城を見学する際は、石段など結構体力を使うことが多いのですが、安土城も入口からなかなかのハードさを感じさせます。

所要時間は一周約45~90分。私はゆっくりめに回って、80分くらいだったかな。受付に杖が置いてあって、目の前に立ちはだかる石段にビビった運動嫌いの私は、杖を一応借りましたよ~(笑)。お城見学というか、ほぼ登山です⛰

 

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↑この石段が、大手道。ここからスタートです。8月、季節は真夏。午前中の早い時間に行ったのでいくらかましでしたが、それでも汗ダラダラ。降りてきた時には、ミストを出してくれていました☺

 

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↑大手道を上っていると、羽柴秀吉邸跡!

 

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↑こちらは、前田利家邸跡!

 

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↑またまた、豊臣秀吉邸跡!

 

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信長のお城なのに、この時点でテンションが上がりますね~( ´艸`)

 

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↑大手道を上っていると、足元にたくさん石仏がありました。

安土城址の大手道には、いくつかの石仏が見受けられる。
これらの石仏は、築城の際に大手道の石材として使われたものである。
城普請に使用する多くの石材は近郊の山々から採取したが、石仏や墓石なども含まれていた。
出土した石仏等は、本来は信仰の対象となっていたものだが、築城の経緯を示すために発見当時の状態で保存している。趣旨をご理解の上見学して頂きたい。

(「安土城址を散策する | 織田信長の安土城址と摠見寺」より)

 

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↑織田信澄(信長の甥)邸跡、森蘭丸邸跡。かなり登ってきました。

 

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↑仏足石。

 

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↑二の丸跡。

 

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↑二の丸跡にある、織田信長公本廟です!信長のお墓と言われる場所は、全国にいくつもあり、ここもその一つ。

重臣羽柴秀吉天正十一年一月三法師に年賀を表すべく登城し、翌二月信長公ゆかりの安土城二の丸跡に太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して本廟とした。そして六月二日の一周忌には織田一族や家臣を集め、盛大に法要を行った。

安土城跡摠見寺パンフレットより)

 

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↑本丸跡です。

 

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↑ようやく、天守閣跡に到達です🏯あれ、ここでは天”主”閣と表記するのですね。

普段運動不足の私には、ここまで登るのもこたえます(笑)。石段がきつかったお城と言えば、千早城といい勝負ですね(笑)。

 

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↑最後の階段を上り、天守跡に着きました🏯ここに、豪華絢爛な天守閣が建っていたのだなと思うと、なんだか不思議な気持ちになります。現在はこの通り、礎石と石垣が残っているのみ。

 

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天守跡からは、遠くに琵琶湖が見渡せます。信長も、この景色を見て、天下統一への思いを強くしていたのでしょうか。

石段を登ってくるのは疲れたけれど、ここまでくると疲れも飛びますね(^^)

 

天守閣跡エリアを後にし、まだまだ見所が続きます。

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↑摠見寺本堂跡。

 

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↑どーん、三重塔!屋根がこんなに間近で見られるなんて、迫力あります。この写真、ズームはしていません。

この三重塔は、重要文化財に指定されています。

室町時代の建物で棟柱に、享徳三年(1454)建立。天文二十四年(1555)修理の墨書きがある。

天正三~四年に信長公が甲賀の長寿寺(湖南市)から移建したものとされている。

安土城跡摠見寺パンフレットより)

 

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↑三重塔からは、西の湖がすぐ近くに見えました。

 

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↑下からも。とても素敵な佇まいです。ずっと見ていても飽きません(笑)。

三重塔から、さらに下ると…。

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↑なんて素晴らしい楼門!二王門です。こちらも重要文化財指定。

 

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金剛力士像を近くで。

この楼門は、1571年(元亀2年)建立。こちらも三重塔のように、創建時に他の場所から移築してきたものだそうです。

 

いやぁ、お城の建物自体は残っていない城跡とはいえ、とても充実した時間が過ごせました。特に、摠見寺の三重塔と楼門は、かなり印象的です。

普段運動不足なので登城でクタクタにはなったものの、心地よい疲れを感じることができました(^^)

帰りに、受付で預けていた御朱印帳を受け取ります。いただいた御朱印はこちら!

 

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↑見開きで、直書きしていただけます。天下布武。これはカッコいいです!

実は私、それほど信長ファンというわけでもなかったのですが(笑)、そんな私でもテンションが上がってしまいました。嬉しいなぁ。

オリジナル御朱印帳もありましたよ。

 

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売店前にいた、飛びだし坊やのとびたくん。とびたくんは滋賀発祥なんですね!どうりで、とびたくんをよく見かけました。

この安土町バージョン、信長さんかな?( ´艸`)

 

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↑マンホールは永楽通宝。

 

今回は見ませんでしたが、徳川家康邸跡には仮本堂が建っており、不定期に特別拝観を行っているそうです。

信長の夢のあとに思いを馳せられるひと時でした。

 

安土城跡・摠見寺

住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6371

www.azuchi-nobunaga.com