【佐賀】楠神社や子育て恵比須もある♪龍造寺八幡宮(佐賀市・御朱印)
どちらの神社も、私の小学校校区内にあるという、まさに地元の神社です。龍造寺八幡宮のお隣の小学校に通っていたもので、もう本当に懐かしいです。
小学生の時は、隣に神社があるというのが当たり前で、そういえばちゃんとお参りしたこともありませんでした。大人になって、改めて神社をちゃんと訪れ参拝すると、初めて知る魅力がいっぱいで、ここってこんなに良い神社さんだったんだと再認識した次第です(笑)。
↑重厚な石鳥居。この鳥居は肥前鳥居と呼ばれ(初めて聞いた👀)、慶長9年(1604年)の刻銘があります。
↑鳥居をくぐった先の境内の雰囲気が、なんだか良い感じ。赤い小さな鳥居の向こうに石造の太鼓橋、そして社殿がそびえています。横の大きな木が存在感大ですね🌳
龍造寺八幡宮は、1187年(文治3年)の創建と伝わる神社で、鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊を勧請したとされています。
(Wikipediaには1187年(文治3年)とあるけれど、佐賀市のHPには建久年間(1190~1199年)とあります。うーん。)
創建当時は別の場所にありましたが、1604年(慶長9年)に現在地へ遷座しました。
↑赤い小さな鳥居が可愛いです⛩
↑普段よく訪れる大阪や関西の神社では、境内で太鼓橋を見たことがないので、なんだか新鮮です(パッと思い浮かぶのは、和歌山の丹生都比売神社くらい)。この橋を渡ると神様に通じる…的な、何か意味を持たせているものなのでしょうか。
↑と、拝殿前にいきなり現れる看板には、宮司さんの紹介(笑)。唐突ですけど、面白くて良いですね( ´艸`)
写真を撮る自分が写り込んでしまったため、モザイクかけてます💦
拝殿では二礼二拍手一礼をしてしっかり手を合わせ、これまでの感謝を伝えました。
↑境内には、ちょっと変わった恵比須さんも。こちらは「子育て恵比須」さんです。恵比須さんといえばおなじみの鯛🐟ではなく、人の子供を抱いて笑っています👶安産や子宝を願う人々の信仰を集めている恵比須さんです。
また、こちらは佐賀市の「さが恵比須八十八ヶ所巡り」の一つになっていて、スタンプラリーも実施しています。佐賀市内には恵比須さんがたくさんいるんですよ~。私も時間があったら巡ってみたかったです😆
↑境内にはもう一つ、存在感のある社殿が。こちらは楠神社です。名前から想像がつくかもしれませんが、こちらは楠木正成と楠木正行を御祭神として祀っています。
佐賀でなんで楠木正成!?と、とても意外でした。ここで楠木正成父子が祀られるようになったのは、Wikipediaによると、こういうことだそうです。
社伝によると、寛文3年(1663年)に佐賀藩士により京都の仏師法橋宗而に依頼し楠公父子像が制作され、佐賀市大和町の永明寺に小堂を建て祀ったのが佐賀楠公奉祀の始まりであり、日本で最初に楠公父子(楠木正成、楠木正行)を祀ったとする所以である。嘉永3年(1850年)に結成された楠公義祭同盟の働きかけにより、1853年に八幡宮境内に楠社を創建し移祀された。歴代藩主公認のもと慰霊、祭祀が行われていた。1880年(明治13年)まで義祭同盟により、毎年5月25日に義祭が行われていた。
(「龍造寺八幡宮 - Wikipedia」より)
↑右側には「義祭同盟之碑」があります。これも全然知らなかったのですが、「楠公義祭同盟」という結社が存在していました。楠木正成と正行父子の忠義を讃える祭祀(義祭)を執り行っていたのだそうです。
そしてこの義祭同盟には、大隈重信や江藤新平、副島種臣ら、明治維新に影響を与えた人物も参加していたそうな。佐賀の七賢人としてもおなじみ(地元ではね😅)の人たちです。
へぇぇ、地元人としてはお恥ずかしながら、そんな同盟があったことは知りませんでしたよ~。勉強になりました(笑)。
社殿内部には、楠木正成・正行父子の像もありました。
↑義祭同盟のメンバーになれる、顔はめパネルまであるなんて😂
社務所で御朱印をいただきました。対応してくださったのが、看板で紹介されている”頑固宮司”さんかな?
↑右が龍造寺八幡宮の御朱印、龍造寺家の家紋がカッコいいです。左が楠神社の御朱印。
他に、子育て恵比須の御朱印もありました。そちらもいただいてくればよかったなぁ。
地元なのでとても懐かしい気持ちでいっぱいで、穏やかな時間を過ごさせてもらいました。
今回、佐賀でいただいた御朱印は以上。他にも良い神社がたくさんあるので、また帰った時には巡ってみたいです。
龍造寺八幡宮
神社自身のHPはないようです。