【和歌山】昔は女人禁制だった高野山。女性のために建てられた女人堂(高野山・御朱印)
高野山を歩いて散策。
霊宝館から歩いて、女人堂へ向かいました。歩いて10~15分くらいかな。
霊宝館から金剛峯寺を北に進みます。途中にも多くのお寺があり、それぞれ宿坊を兼ねているところも多いです。
波切不動(南院)と徳川家霊台を通り過ぎ、さらに奥へ。
女人堂は、とても寂しい場所にぽつりと存在していました。
↑女人堂の前で、来た道を振り返って撮影。手前が女人堂、この先が高野山です。
↑高野山の中心から外れた場所に寂しくぽつんと立つ、小さなお堂。こちらが女人堂です。
入口で、高野山の可愛いゆるキャラ「こうやくん」が迎えてくれます♡
高野山は、かつてはずっと女人禁制でした。1872年(明治5年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りは厳しく制限されており、たとえ弘法大師空海の母君であっても入山は許されませんでした。(空海の母が滞在したのが、九度山町の慈尊院です)
高野山に入れない女性のために、高野山の周りには籠り堂として、七つの女人堂が設けられました。この女人堂を結ぶ道が「女人道」であり、 高野参詣道の一つとして2016年に、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されました。
しかし、七つあった女人堂はほとんど現存しておらず、唯一現存しているのが今回訪れた、不動坂口女人堂です。
現存しているのがここだけなので、今は「女人堂」といえばここを指すことが多いです。
(参考:「女人道 (高野参詣道) - Wikipedia」)
ここまで来て、高野山に入ることができなかった昔の女性たち。どんな思いで、ここから高野山に手を合わせていたのでしょうか。
性別に制限されることなく、自由に参拝できる現代の私たち。もしかしたら、とてもありがたく幸せなことなのかもしれません。
…なんて思いながら、ここで手を合わせた昔の女性たちのことを考えたりして。
女人堂内部の写真は撮りませんでした。堂内には、大日如来、役行者(神変大菩薩)、弁財天が祀られています。
↑お堂の外に、小杉明神社という小さなお社が。越後国の小杉という女性をお祀りしていると、御朱印をいただく時にご住職さま(だと思う)が教えてくださいました。
小杉さんは不幸で壮絶な経験をされた女性でしたが、弘法大師空海のご加護に救われ、尼僧になり、女人禁制の高野山に登ってくる女性のために、貯めたお金で不動坂上にお堂を建て、もてなすようになりました。これが、女人堂の始まりと伝えられています。
↑女人堂の向かいには、大きなお地蔵さま「お竹地蔵尊」が。大きさにびっくりしました。江戸の方が建てられたそうです。
↑お竹地蔵さんの隣、バス停の後ろには細い階段があります。これは、女人道に続いています。
ちょうど私が女人堂に向かっている時、後ろから熊よけ鈴を鳴らしながら歩く登山者らしき人がいたのですが、その人はこの階段を上り、山の中へと消えていきました。女人道を歩きに行くであろうその背中を、そっと見送りました(笑)。
御朱印をいただきました。
女人堂では3種類の御朱印がいただけます。私は今回、2種類を拝受しました。
↑右が大日如来、左が神変大菩薩(役行者)の御朱印です。この他に、今年から弁財天の御朱印も始まったそうですよ。
ご住職さまらしき方が、ご丁寧にいろいろと説明してくださいましたm(__)m コロナの影響で人が来なくて、寂しいですねと仰っていました(>_<)
女人堂