元・ふわふわ北京日和

北京住み→日本に本帰国。現在は中国に関係あったりなかったりの気ままなブログ。

【大阪】聖徳太子の古戦場!”下の太子”大聖勝軍寺(八尾市・御朱印)

大阪・八尾市で御朱印さんぽの続き。

JR八尾駅を降りて、澁川神社を参拝した後は、徒歩でさらに南の方へと向かい、目的地の大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)へ。八尾駅からは徒歩約15分です。

聖徳太子ゆかりのお寺をマイペースに回っているのですが、太子町の叡福寺が「上の太子」、羽曳野市の野中寺が「中の太子」と呼ばれるのに対して、ここ大聖勝軍寺は「下の太子」と称されています。

叡福寺と野中寺は行ったことがあるので、上中下の”下”である大聖勝軍寺にもぜひ行かなければ!と思っていたのでした。

叡福寺と野中寺の訪問記↓

minghuabj.hatenablog.com

minghuabj.hatenablog.com

 

国道25号線に面した入口を見つけました。向かいには天童よしみさんの事務所があるということを、帰ってから調べていて知りました😅

f:id:minghuabj:20211021163050j:image

↑「聖徳太子古戦場」という石碑が建っています。そう、ここはその昔、聖徳太子物部守屋との戦いの舞台だったのですね👀

仏教伝来をめぐり、崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋が対立、守屋の本拠(渋川の館)を中心に、河内一円を鮮血で染める激戦となりました。用明天皇の命に従い、馬子とともに仏教を広めようとしていた当時十六歳の聖徳太子は自ら兵を率いて参戦します。
しかし強大な兵力を誇る守屋の前に三度敗退、大軍に包囲され絶体絶命の窮地に陥りました。まさにそのとき椋の大木が真っ二つに割れ、その幹の空洞に身を潜めた太子は九死に一生を得ます。
起死回生を誓った太子は恩樹椋の木で自身十六歳の像を刻み、自ら黒髪を断ち切り植髪しました。そして椋の木を取り巻くように茂っていた白膠木で四天王の像を刻み、馬子以下四大臣を四天王に見立てて各々頭髪に戴かしめ、必勝の誓願をたて、ついに守屋を倒したのです。物部守屋の首と遺躰は二つの塚にわけて葬り、丁重に供養されました。

(「第一番 大聖勝軍寺 河内西国霊場会」より)

594年(推古天皇2年)に山号と寺号が贈られ、この年を創建年としています。宗派は高野山真言宗、御本尊は植髪太子(聖徳太子十六歳像)(!)。

(参考:大聖勝軍寺 - Wikipedia

 

f:id:minghuabj:20211021163043j:image

↑3つの霊場の札所でもあります。

 

f:id:minghuabj:20211021163036j:image

聖徳太子と四天王像がお出迎え。しかし、四天王像のうちの一体(どなたかは忘れました💦)が、木の葉の陰に隠れて、どう角度を変えても一緒に写真に収められませんでした(笑)。

 

f:id:minghuabj:20211021163059j:image

聖徳太子が立つ台には、聖徳太子御遺跡霊場の札所の名前が並んでいました。

 

f:id:minghuabj:20211021163107j:image

↑まだまだ行ったことのない聖徳太子ゆかりのお寺がたくさんです。

 

f:id:minghuabj:20211021163115j:image

↑そして、入口にある「守屋池」。池と言っても現在は水がありません。秦河勝が、物部守屋の首を洗った池だそうです。

 

f:id:minghuabj:20211021163212j:image

↑山門。

 

f:id:minghuabj:20211021163205j:image

↑山門をくぐりました。それほど広くはありませんが、見所が多く、それでいて落ち着く空間です。

 

f:id:minghuabj:20211021163318j:image

↑本堂。

 

f:id:minghuabj:20211021163311j:image

地蔵堂

 

f:id:minghuabj:20211021163335j:image

↑救世観音菩薩

 

f:id:minghuabj:20211021163351j:image

↑平和塔。聖徳太子十六歳像と物部守屋像が一緒に祀られており、敵味方の区別なく安置することで、和の心を後世に伝えている、のだそうです。

 

f:id:minghuabj:20211021163344j:image

↑この大きな木は、神妙椋樹、とあります。

実は私、現地で見ても気付かなかったのですが、木の中に聖徳太子像があるんですよー!なんで気付かなかったの~💧ちゃんと見てこなかった自分が悔やまれます( ノД`)

そして、写真では見えづらいのですが、根元に「史蹟 馬蹄石」とあります。激戦の跡を伝えるため、太子の馬の蹄の跡が残されています。

 

f:id:minghuabj:20211021163302j:image

↑この木がまさに、太子が絶体絶命の時に九死に一生を得た木なのですね。

 

f:id:minghuabj:20211021163359j:image

弘法大師像。太子像の周りをぐるっと、四国八十八ヶ所お砂踏みができます。

 

f:id:minghuabj:20211021163327j:image

↑大師像の前には、撫で五鈷杵。私も撫でてまいりました。

 

f:id:minghuabj:20211021163432j:image

↑ごりやく独鈷錫杖まわして一番からおまわり下さい、とのこと。

 

f:id:minghuabj:20211021163456j:image

↑これが独鈷錫杖、ですね!

 

f:id:minghuabj:20211021163504j:image

f:id:minghuabj:20211021163449j:image

f:id:minghuabj:20211021163441j:image

f:id:minghuabj:20211021163512j:image

 

f:id:minghuabj:20211021163547j:image

毘沙門堂。ここは、

太子が一時信貴山に難をさけ、先勝祈願して下山後、毘沙門天の化身が現れたことにより、稲城攻略に神わざの働きをします。

そこで太子は毘沙門天二躯を刻み、前者を大聖勝軍寺、後者を出現の地信貴山に祀ったと伝えられています。

(「第一番 大聖勝軍寺 河内西国霊場会」より)

とのことで、信貴山毘沙門天さんと繋がっていたとは!

minghuabj.hatenablog.com

 

f:id:minghuabj:20211023230436j:image

↑大聖不動明王。一願不動尊です。怖いお顔の不動明王さんですが、なんだか可愛らしさもある表情( ´艸`)

 

f:id:minghuabj:20211021163609j:image

↑鐘楼と、手前には井戸(?)の上でお休み中のお地蔵さま。

 

参拝と境内散策を終えて、寺務所で御朱印をいただきました。

寺務所や社務所では、インターフォンを鳴らすことはよくありますが、こちらではなんと!

f:id:minghuabj:20211021163614j:image

↑鐘を鳴らします🔔こんなの初めて!素敵~♡

で、鳴らしてみたら、それほど力を入れてはいないのに、結構良い音で響きました(笑)。

 

f:id:minghuabj:20211023161017j:image

↑いただいた御朱印です。真ん中の印が、弓矢でしょうか?”古戦場”ならではのユニークな御朱印ですね。下の太子、と墨書きされています。

そして、御朱印帳の当て紙には聖徳太子!これも素敵です♡

対応してくださった方がとてもお優しくて、ほっこり和みました。手作りマスクまでいただいてしまい、ありがとうございましたm(__)m

 

お寺の境内ではないですが、大聖勝軍寺から東に少し歩いた所にはなんと、物部守屋のお墓があります。

f:id:minghuabj:20211021163741j:image

↑こちらです。

現地では全っ然気にしていなかった、というか気付いていなかったのですが、なんとこちら、よく見るとお墓を囲んでいる石標に、ずらりと神社の名前が書いてあるのです。

写真では写っていませんが、帰ってネットで見た写真では、春日大社住吉大社太宰府天満宮伏見稲荷大社熊野那智大社などなど、有名な神社の名前がずらり!

ちゃんと見てくればよかったー😅

 

f:id:minghuabj:20211021163747j:image

↑JR八尾駅前にあった地図。八尾は、聖徳太子物部守屋と関わりの深い、歴史的にも重要な地だったのですね。

 

 

大聖勝軍寺

住所:大阪府八尾市太子堂3丁目3-16

www.kawachisaigoku.jp