【大阪】”悪縁を断つ寺” 鎌八幡円珠庵。真田幸村ゆかりのお寺(天王寺区・御朱印)
玉造周辺で御朱印さんぽ。
どんどろ大師善福寺から歩いて5分くらいの場所に、「鎌八幡」の名で知られるお寺があります。それがこちら。
↑「悪縁を断つ寺」と、鎌の絵がとても目立っています!
お寺の名前は、円珠庵。別称である「鎌八幡」の名で知られています。
看板にある通り、ここは「悪縁を断つ」ご利益で有名です。鎌が刺さった御神木があると知り、和歌山のかつらぎ町にある丹生酒殿神社の鎌八幡宮を思い出しましたが、天王寺にもあったのですね👀
さて、この鎌八幡円珠庵。事前にネットで見た情報から、ちょっと怖くて近寄りがたいイメージを勝手に抱いていました。境内の撮影は禁止で、一見さんが気軽に訪れにくいようなお寺だと思っていたのです。
が、せっかく近くまで来たのだし、ご縁をいただけたらいいなと、足を踏み入れることにしました。
↑山門。こちらからお邪魔します。
この中に入ると、撮影は一切禁止です。撮影機材などが見つかった場合は没収されることもあるので、マナーは守りましょう。
境内にも貼り紙がありましたが、このところ観光などで訪れる参拝者で、マナーが悪い人が増えていて困っておられるそうです☹静かにお参りする場所ですので、大勢での参拝や大声での会話は控えた方がよいかと思われます。
来庵者の心得 - 【公式ホームページ】 悪縁を絶つ寺 鎌八幡 - 新規サイト002
昔、この辺りに一本の榎の霊木があり、人々の信仰を集めていました。時は下り、大阪冬の陣の時に真田幸村がこの信仰を聞き、鎌を打ち付け、鎌八幡大菩薩として祈念したところ、徳川方に勝利したと伝えられています。
そして江戸時代初期、国文学者でもある高僧・契沖阿闍梨がこの鎌八幡の境内に居を定め、円珠庵と称しました。
契沖は深く鎌八幡を信仰し、鎌八幡は祈祷寺として信仰が広まりました。
(参考:鎌八幡の由来 - 【公式ホームページ】 悪縁を絶つ寺 鎌八幡 - 鎌八幡(円珠庵))
境内はとてもこぢんまりとしており、静寂が漂っています。
そして、鎌八幡。御神木自体はそれほど大きくはないものの、たくさんの鎌が刺さっているさまはやはり驚きの、目を見張る光景でした。撮影禁止なので写真はありませんが、丹生酒殿神社の鎌八幡宮と同じようなイメージです。
周りにはおびただしい数の絵馬が掛けられていて、私が訪れた時も熱心に手を合わせている人が数名いらっしゃいました。
悪縁を断つ、というと、何か恨みを抱えた人が来るような所なのかと勝手に怖いイメージを持ってしまっていたのですが、そればかりでは決してないんですよね。
悪縁とは、人に限ったことではありません。例えば、断ち切りたい病気、厄払い、悪運などもそうです。実際に、「旧暦5月5日」には頭痛・高血圧・中風封じが、そして「9月7日または8日(白露の日)」にはぜんそく・風邪・気管支炎封じの行事が行われています。
行事予定 - 【公式ホームページ】 悪縁を絶つ寺 鎌八幡 - 鎌八幡(円珠庵)
御朱印をいただこうとしたところ、明るい声で女性の住職さまが出てきてくださいました。
いただいた御朱印は、力強い筆致でとてもインパクトがあります!
↑摂津国八十八カ所の第15番札所にもなっています。真ん中の印に、鎌がありますね!
絵馬は鎌のイラスト、そして鎌の形のかっこいいお守りもありました。
小さなお寺ですが、なんだか大きなパワーをいただけた気がして、行ってよかったです。この日もご縁に感謝。
鎌八幡円珠庵
【大阪】不思議な名前が気になる!どんどろ大師善福寺(天王寺区・御朱印)
玉造周辺で御朱印さんぽ。
三光神社から西に歩いてすぐの所に、「どんどろ大師」という不思議な名前で呼ばれているお寺があります。ここが、善福寺(ぜんぷくじ)。
↑十字路の交差する場所にこの門が見えるので、分かりやすいです。一見、お寺っぽくない門構えです👀
↑門の前にあるこの像。歌舞伎「傾城阿波の鳴門」の舞台となっていることから、門前に祀られています。お寺でいただいた略縁起によると、21日弘法大師のご縁日に、どんどろ大師の門前で導かれたように巡礼姿の娘と思わぬ再開を果たした、お弓・おつるの母娘の場面とのことです。
さて、どんどろ大師という不思議な名前が気になるこのお寺。
善福寺は元々、大阪府豊能町にあった高野山真言宗のお寺でした。Wikipediaには、聖徳太子が開創したとあります👀
明治時代になり、経済基盤の多くを失って、寺運は急速に傾いてしまいました。1909年、現在の場所であるどんどろ大師へ移し、寺号は「どんどろ大師善福寺」となりました。
どんどろ大師の名称は、こう伝えられています。
江戸・天保の頃、大阪城代である土井利位の屋敷がこの近くにあり、土井利位はここに祀られている弘法大師に帰依し、度々参拝していました。そこから「土井殿大師(どいどのだいし)」の名が起こり、それがどんどろ、と転訛した、のだそうです。どいどの、どんどろ。
(参考:現地でいただいた「どんどろ大師善福寺略縁起」、善福寺 (大阪市) - Wikipedia)
そしてこの辺りも、大阪冬の陣で真田幸村が真田丸を築いた一帯といわれており、大阪冬・夏の陣ともに激戦地であったそうです。
境内はこぢんまりとしています。
↑大師堂。大坂夏の陣の戦死者の霊を弔うために創建されました。
↑勝軍地蔵尊。大きくてびっくり!剣を持っているお地蔵さま、初めて見た気がします。
Wikipediaによると、1907年、日露戦争病死者記念仏として開眼されたそう。
本堂と寺務所は2階です。
↑2階に上がりました。上には立派な扁額が掲げられています。
入っていいのかしら、と扉越しに覗いたりして挙動不審な私💦…と、中から「どうぞ~」と優しく声をかけてくださり、お邪魔しました。
本堂には、御本尊の弘法大師が祀られています。内部の写真は撮っていませんが、綺麗なお堂でした。1945年に空襲で焼失し、1984年に再建され現在に至ります。
ご住職さんと親族の方でしょうか、とても気さくに対応してくださり、「どんどろ大師」の由来を紹介してくれました。
御朱印をお願いしたところ、待っている間にお茶をいただいてしまって🍵御朱印巡りでお茶を振舞っていただいたのは初めてで、優しい対応に癒されました(*^-^*)
↑いただいた御朱印です。摂津国八十八カ所の第11番札所にもなっています。
小さなお寺さんですが、優しい対応にとても心が温まりました。ありがとうございました🙏
善福寺
【大阪】”真田の抜け穴”がある、三光神社(天王寺区・御朱印)
大阪の天王寺区にある、三光神社へ行きました。真田ファンにはおなじみであろう、真田幸村ゆかりの神社です。
ここはかつての真田丸の一部と考えられ、「真田の抜け穴」が残っています。
JR大阪環状線&地下鉄長堀鶴見緑地線玉造駅から徒歩約5分の位置にあります。
↑北側の鳥居。この鳥居は新しいもので、鳥居の前にはよく見ると小さな折れたような石碑があります。
これは、片柱の鳥居。これが元々の大鳥居でしたが、戦火を被り、片柱の一部を残すのみとなってしまいました。悲惨な戦争を繰り返すことのないようにと、平和と国家の安泰を祈願して残されているそうです。
(参考:「三光神社<公式ホームページ>」)
↑こちらは、東側の鳥居。
↑東側の鳥居をくぐって小さな高台に上がるとすぐに、堂々たる真田幸村公の像が迎えてくれました。
↑正面から。この像は、1987年(昭和62年)に建立されました。像の立つ台座には、よく見ると「真田石」と書かれています。これは、信州上田の真田家の菩提寺である長谷寺より取り出した石なのだそうです。
↑像のそばには、ここです!真田の抜け穴です。
1614年(慶長19年)、真田幸村がわずか1カ月余りで真田丸と呼ばれる砦を設け、大阪城へ通じる地下道を作ったと言い伝えられています。その抜け穴跡がここ、というわけです。
当時の様子を想像すると、ワクワクしますね。
(ただしWikipediaによると、真田幸村が作ったものではない可能性も指摘されているとのこと💦)
↑抜け穴に近づいてみました。六文銭がカッコいいです。このように普段は施錠されていますが、毎年11月の第一日曜日だけは「真田祭り」が開催され、一年に一度ここが開放されます。
↑さらに小高い所に、社殿があります。ここで二礼二拍手一礼。
三光神社の創建年は不明ですが、反正天皇の時代と伝えられる古社。御祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の三柱です。
↑お賽銭箱の隣に、鋭い目つきの幸村さんがどーんと構えています。
↑社殿の隣には、顔はめパネルも。
↑こちらは寿老神さん。大阪七福神めぐりに含まれています。
大阪七福神めぐりについては→三光神社<公式ホームページ>>大阪七福神について
実はこれで、個人的にはやっと大阪七福神めぐりをコンプリートしたことになります!
しかし、三光神社では神社の御朱印のみいただいて、寿老神の御朱印をいただいてこなかったので、寿老神の御朱印をいただきにまた来ます(/・ω・)/
また、真田幸村と六文銭をモチーフにした、オリジナル御朱印帳もありますよ。六文銭の絵馬やお守りもカッコいいです。
同じ天王寺区にある安居神社と合わせて、真田ファンが多く訪れる神社。大阪の歴史を感じる、興味深い場所でした。桜ももうすぐ開花かな?🌸
※2021/8/1追記
再訪し、寿老神の御朱印をいただきました☺
【大阪】”聖徳太子創建の宮” 鵲森宮。現在は小さいけれど由緒ある古社(中央区・御朱印)
大阪城の南側、JR大阪環状線&地下鉄中央線・長堀鶴見緑地線森ノ宮駅すぐの場所に鎮座する、鵲森宮(かささぎもりのみや)を訪れました。
聖徳太子ゆかりということで気になっていたこちらの神社。いざ行ってみるととっても小さく拍子抜けするほどの神社でしたが、聖徳太子から続く長い歴史を有する、重要な場所であることを知りました。
↑玉造筋に面して建つ鳥居。通称は森之宮神社、この辺りの地名「森之宮」「森ノ宮」の由来になっています。
鵲森宮は、聖徳太子によって589年(崇峻天皇2年)に創建されました。
崇峻天皇二年(589年)七月、聖徳太子は物部守屋との戦いに必勝を祈願され、勝った暁には四天王像を造ることを誓われました。その戦いに勝利されて、先ず父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を神としてお祀りなさいました。
(「鵲森宮 由緒と祭神」より)
太子は四天王像を造り、この森に元四天王寺を創建。四天王寺はその後現在の場所に移転したが、当社はそのままとされました。
当時は境内も非常に広かったようですが、その後衰退し、現在の小さな姿となってしまいました。しかし、実は1400年以上の歴史を誇る、由緒ある神社なのですね。
(参考:鵲森宮 - Wikipedia)
また、鵲(かささぎ)という神社名も気になります。
上古難波の杜(もり)と云っていた推古天皇の御代に、難波の吉士磐金(きしいわかね・聖徳太子の命により新羅へ使者として渡る、鉄鋼業の祖)と云う人がいまして、新羅国より還って来て、鵲(俗に朝鮮烏)二羽を献上しました。(「日本書紀」推古六年夏四月の条に載っています)
この森に飼わせなさったことから「鵲の森]と称え、遂に宮の名となり略して「森之宮」又は「森明神」とも云うようになりました。(「鵲森宮 由緒と祭神」より)
↑本殿。こちらで二礼二拍手一礼しますm(__)m 大きくはないものの、しっかりした存在感があります。
こちらには主祭神の用明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子が祀られています。神社HPには、用明天皇並びに穴穂部間人皇后を祀る日本で唯一の神社、とのことです。
また、鳥居をくぐってすぐの所に、摂社の五幸稲荷社があります。壁の由緒書きには、「火難・水難・盗難飢餓・産難を除く、宇賀御魂命を祀る、日本唯一の稲荷社です」と書いてありました。
↑亀井水。
1400年前聖徳太子が当神社を建てるにあたり 温泉が湧いているのを発見。病の人に入湯を許すと病が癒え命を保つと評判になり 門前市をなす賑わいとなった。
と書かれています。
↑亀井水に近づいてみました。
↑大伴家持歌碑。
↑上に押されている小さな印にいる鳥さんは、カササギでしょうね(*^^*)可愛いです。
鵲森宮
【大阪】”大阪最古の神社”いくたまさんで、60年に一度の干支御朱印。生國魂神社(天王寺区・御朱印)
大阪で「いくたまさん」と呼ばれ親しまれている、生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)へ行きました。
大阪の神社といえばここ!という有名な神社の一つでありながら、初めての参拝です⛩
天王寺区にあり、地下鉄谷町線谷町九丁目駅から徒歩5分くらい。高津宮や藤次寺もすぐ近くにあります。
↑逆光で暗くなってしまった下手な写真ですが😅さすがの風格、大きな鳥居がカッコいいです。
生國魂神社の創建年は不明ですが、社伝によると、初代・神武天皇が九州より日本統一の旅に出発し、難波津(大阪湾)に着いた際、現在の大阪城を含む一体に、生島大神と足島狼を祀ったのが始まりと伝えられています。
約2700年もの歴史を有する、大阪最古の神社といわれます。とてつもなく古い、由緒ある神社なのですね。
御祭神は、生島大神(いくしまのおおかみ)、足島大神(たるしまのおおかみ)、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)。
生島大神と足島大神、聞いたことがない神様だなあと思ったら、いただいてきた「生國魂神社略誌」には、
生島・足島大神は日本国土そのものであり、大地に生を受けるものすべてを生かし育て守護される広大無辺の御神徳があります。
とのこと。生島・足島大神は、『古事記』や『日本書紀』などの神話に記されていない神なのだとか。
(参考:「難波の大社 生國魂神社略誌」、生國魂神社 - Wikipedia)
生成発展・五穀豊穣・健康長寿・縁結び・社運隆昌・家内安全などにご利益があるそうです。
↑鳥居をくぐると、広い境内。初詣には来たことがありませんが、きっとすごい人混みなのだろうなぁと思います。
↑拝殿、奥に本殿。こちらで二礼二拍手一礼します。このような造りの拝殿は初めて見ました。広くて明るく開放的で、風格を感じます。
本殿は「生國魂造」(いくたまづくり)と呼ばれる独特の建築様式です。戦災や災害などで幾度の焼失を経て、現在の社殿は1956年(昭和31年)に再建されました。
いくたまさんには、たくさんの境内社があり、一つ一つを参拝して回るのも面白いです。
それぞれがどのような神様を祀り、どのようなご利益があるかを丁寧に紹介してくれていて、とても親切だなぁと好感を持ちました。
↑拝殿のすぐそばにあるのは、天満宮と住吉社。
↑天満宮。こうやって、それぞれのお社に、モチーフやイラストが描かれた絵馬とご利益が紹介されているのです。こういうのいいなぁ(*^^*)
天満宮はもちろん、学業成就ですね。
↑皇大神宮。
↑その奥にある、「生玉の社」。緑豊かな散策路に、たくさんの境内社が鎮座しています。
↑精鎮社。えびすさんとべんてんさんを祀ります。
このガラスは何だ、工事中?と思ったら、覗いてみると下は池になっていて、鯉がたくさん泳いでいるではありませんか>゜)))彡保護してあるのか、ガラス越しでしか見られませんでしたが。
鮮魚を取り扱う商人や、漁師、釣り人からの信仰が厚い、とあります。
↑朱塗りの社が3つ並んでいます。
↑一番左は、稲荷神社。へぇ、佐賀県の祐徳稲荷の御分霊なんですね!私佐賀出身なので、ちょっと嬉しい(笑)。
↑稲荷神社の隣には、源九郎稲荷神社、鴫野(しぎの)神社と並びます。
↑鴫野神社。心願成就・縁結び・悪縁切りなどを祈願します。淀姫の信仰が厚く、よく参拝したという弁天社を、大阪城近くからここに移したものだそう。
↑「心」の文字に鍵がかかったイラスト、インパクトがあります!女性の守護神としても親しまれているようで、たくさんの絵馬がぎっしり掛けられていました。
↑さらに、4社が並んでいます。
↑一番左は、城方向八幡宮(きたむきはちまんぐう)。大阪城鬼門の守護神として祀られていたことから、城方向=北向き、で、「きたむき」と読むのですね。勝運・方除の神です。
↑鞴(ふいご)神社。鞴とは火おこしの道具のことで、金物・かまど・台所の神様として信仰されています。
↑家造祖(やづくりみおや)神社。大阪城築城に際し、家造りの祖神として建立されました。
↑絵馬にも家🏠土木建築業界の守護や、各家庭円満の神様として親しまれています。
↑最後は、浄瑠璃神社。近松門左衛門をはじめ、文楽関係諸霊を祀っています。
↑芸能上達を祈願します。近松門左衛門の『曾根崎心中』などの作品には、生國魂神社が登場します。
↑生玉の社。都会のオアシスのような、一息つける場所です。
↑井原西鶴像。生國魂神社の境内で、一昼夜24時間かけて「矢数俳諧」を行い、一人で四千句を読み上げたのだとか。
↑「お玉茶屋」というお茶処を発見。入ってみたかったけれど、この日はお休みでした。いつも開いているわけではなくて、土日祝日など決まった日だけの営業のようです。次はぜひここで一服したいな。
さて、ご存知の人も多いと思いますが、生國魂神社では毎年1月に、干支御朱印を授与されています。
ネットで見かけて、今年のお正月はぜひともいただきたいと思っていたのに、大阪が緊急事態宣言になって…泣く泣くあきらめていました( ノД`)
そうしたら、インスタグラムで、干支御朱印の受付が延長されていることを知りました。
本来は1月中の授与ですが、コロナ禍を鑑み2月末まで延長。しかし緊急事態宣言が明けてから参拝する人へ配慮してくださり、なんと3月末までいただけることになりました!
↑この通り。
私、いろいろな神社の初詣御朱印をいただきたいなと思って楽しみにしていたのですが、大阪が緊急事態宣言になってしまって、1月中に行くのを仕方なくあきらめた神社も多かったのです。こんな状況下だし、柔軟な対応をしてくれたらいいのにな、って思いました。
そんな中、いくたまさんのこの対応は、まさに”神”!(神社だし( ´艸`))緊急事態宣言中、行きたくても行けなかった人へ配慮してくださり、その対応は素晴らしいと感じました。一気に好感度が上がりましたよ~★
↑ということで、3月でも無事に、干支御朱印がいただけました。辛丑です🐮
いくたまさんの干支御朱印は、60年で一巡するので、私の場合、同じ御朱印はもう生きている間にいただけないと思います(笑)。毎年いただきたくなっちゃいますね。
その長い歴史と、見所の多い境内、そして参拝者への対応。どれをとっても、好きな神社となりました。また足を運ばせてもらいます!
↓この本でも、生國魂神社が掲載されています⛩
【大阪】三好長慶が創建、千利休が修行した名刹・南宗寺(堺市・御朱印)
堺の名刹として有名な、南宗寺(なんしゅうじ)を訪れました。ここはぜひ行ってみたいと思っていた場所です。
私はレンタサイクルで訪れました。堺はレンタサイクルがとっても便利!電車の場合は、阪堺線御陵前駅からすぐです。
↑この山門から入りました。駐車場はまた別の場所です。
この中が南宗寺そのものだと思っていたのですが、足を踏み入れてみると、広い敷地内には塔頭などのお寺が何軒か立ち並んでおり、一番奥の方に南宗寺の受付がありました。
この日は週末でしたが、境内は人が少なく、とっても静か。じっくりと落ち着いた気持ちで過ごすことができました。
南宗寺は、臨済宗大徳寺派のお寺。戦国武将の三好長慶が、父・元長の菩提を弔うため、1557年(弘治3年)に創建しました。
1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で焼失してしまいましたが、その後1619年(元和5年)に当時の住職であった沢庵宗彭らの尽力により、現在地に再建しました。
また、千利休はこの寺で修業し、わび茶を大成させたといわれています。
(参考:「南宗寺 - Wikipedia」、南宗寺パンフレット)
↑まず目を奪われるのが、この立派な山門です。長い年月を感じさせる佇まい。
↑「甘露門」と呼ばれています。重要文化財で、1647年(正保4年)の建立です。
↑甘露門の前には、「南宗寺開基 戦国之天下人 三好長慶公坐像建立約束之地」の文字が。
↑そして、三好長慶の像があります。
↑広い境内には緑が多く、よく手入れされていて趣がありました。
↑奥の方にやっと、南宗寺の入口を発見。
↑ここからお邪魔します。
この先に南宗寺の拝観受付があり、拝観料が必要です。大人400円。そして、その先は撮影禁止です。
受付の方が非常に感じが良くて温かい対応をしてくださり、気持ちよく参拝できました。ボランティアガイドさんが説明をしてくれる時もあるようですが、私が訪れた時はガイドさんはいませんでした。コロナの影響でしょうか。
さて、南宗寺の境内。受付でいただいたパンフレットに境内地図が書かれてあり、それにそって順路を進んでいくのですが、迷路のようで迷いながら歩きました(笑)。見所が多く、人が少なかったため落ち着いて心ゆくまで過ごさせてもらいました。
写真がないのが残念ですが、境内の見所は…
・千利休一門の供養塔
・三好長慶一族の墓
・石庭(枯山水)
それほど大きくはありませんが、とても落ち着く空気が流れています。
・茶室「実相庵」
千利休好みの茶室。
そして驚くのが、
・伝説の家康の墓
ええっ、家康の墓って日光東照宮じゃないの?と、思いますよね。ところが、
「南宗寺史」には「(家康が)大坂夏の陣で茶臼山の激戦に敗れ駕籠(かご)で逃げる途中、後藤又兵衛の槍(やり)に突かれた。辛くも堺まで落ち延びたが、駕籠を開けてみると既に事切れており、遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬した」との伝説が紹介されている。
こちらも参考→【大阪特派員】堺に残る家康の墓伝説 山上直子(1/2ページ) - 産経ニュース
あくまでも伝説であり、想像の域を出ないものではありますが、歴史の謎にあれこれ思いを馳せてみるのも面白いです。旧東照宮の表門である唐門は重要文化財で、三つ葉葵の紋が刻まれています。
さらに、私が一番印象に残っているのは、
・仏殿
です。仏殿は1653年(承応2年)の建立で、御本尊の釈迦三尊像を安置しています。
暗い仏殿に足を踏み入れて、天井を見上げると、そこにははっと息をのむほどの絵が。狩野信政による、「八方睨みの龍」が描かれています。これが素晴らしかった。
名前の通り、どこから見ても龍に睨まれているように見えます。迫力があって、ずっと見ていても飽きないくらいでした(首が疲れるけれど(笑))。この天井画を見ただけでも、来て良かったなと思えました。
南宗寺の境内の散策を終え、また敷地内をぶらぶら。
↑外から見た仏殿。
↑横からも。
↑千利休遺愛の、椿の井戸。
↑天慶院。拝観はできません。
↑本源院。こちらも、拝観はできません。
↑弁財天堂。
↑鳥居をくぐって、弁財天さんにご挨拶。
↑白い花が可愛く咲いていました。
南宗寺の御朱印は、受付でいただけます。
↑臨済宗のお寺で御朱印をいただくのは初めてです。中央の墨書きは「大雄宝殿」と書かれています。
堺の歴史に不可欠である重要なお寺は、その由緒を体全体で感じることができる場所でした。お寺自体はそれほど大きくはないかもしれませんが、見所が詰まっていて、個人的にはとても感銘を受けました。
古墳だけではないですね。面白いなぁ、堺。
南宗寺
【大阪】”日本最古の戎宮”を称する、石津神社(堺市・御朱印)
大阪の堺市堺区にある、石津神社(いしづじんじゃ)へ行きました⛩
国道26号線沿いにあります。
↑この看板があるのですぐに分かりました。「日本最古の戎宮」??何やら歴史がありそうです。
↑朱塗りの大きな鳥居をくぐって、お邪魔します⛩
↑石津神社の紹介。
神社HPによると、
石津神社は延喜式(西暦九二七年・平安時代)神名帳に見られ、神社に伝わる古文書に「往古、事代主神(戎神)が此の地に五色の石を携え御降臨され、この地に置き給う」、故、此処を「石津」と名付く。
第五代孝昭天皇の七年(紀元前四六九年)八月十日の神勅(天皇の御命令)により祭礼を行う{日本最古の戎宮の由縁}以降、月の十日を月次祭(月々のお祭り)として現在に引き継がれています。(石津神社HP「御由緒」より)
とあります。すなわち、紀元前469年を創建とし、これが”日本最古の戎宮”とする由縁、とのこと。非常に古い歴史を持つ神社なのですね。
主祭神は、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)、大巳貴神(おおなむちのかみ)、天穂日神(あめのほひのかみ)。
ところで、同じ堺市に、名前が非常によく似た「石津太神社」という神社があります。こちらは西区ですが、地図上で見るとまあまあ近い位置にあります。名前が似ていて近くにあるので、何か関係があるのだろうと思ったら、石津太神社の方も”日本最古の戎宮”を名乗っているそうで。Wikipediaによると、
孝昭天皇7年8月10日に勅願により創建されたという式内社石津太神社(いわつのおおじんじゃ)に比定されている。石津太神社については、同市西区浜寺石津町中の石津太神社(いわつたじんじゃ)も論社となっており、元々はどちらかが本社、どちらかが御旅所か分社であったと考えられている。両社とも八重事代主神(戎神)降臨の地として、「日本最古の戎宮」を称している。
(「石津神社 - Wikipedia」より)
とのことです。ほぉ~。石津太神社の方にはまだ行ったことがありませんが、こちらにもぜひ訪れたいところ。
↑境内の様子。狭くもなく広くもなく、地域に根付いた、居心地の良い落ち着く空間、といった感じです。
↑御神木の大楠、こちらは推定樹齢1,000年、迫力があります。とても大きくて、写真に収められませんでした。御神木の前には、「日本笑姿初石津大社」の石碑があります。
↑拝殿・本殿。こちらにも大きな御神木があります。手前の狛犬さんは、赤い差し色が素敵。
こちらで、二礼二拍手一礼です。コロナ対策のためか、鈴緒は撤去されていました。
野見宿禰社には、野見宿禰神(のみすくねのかみ)を祀っています。野見宿禰神は、相撲の始まりに縁のある人で、石津神社の初代神主でもあります。隣の天満宮はもちろん、菅原道真を祀っています。
そしてこちらの書置き御朱印、紙のサイズが大きくしかも縦に細長くて、私の神社用御朱印帳(小さいサイズ)には収まらず、どうしようか悩みました(笑)。お寺用で使っている大きいサイズの御朱印帳とも比較してみましたが、それでもはみ出す大きさ(゜.゜)
横幅は、ギリギリのところで切って収まったものの、縦は切っても収まらず、下の部分を少し折って閉じています😅
堺には興味深い神社がたくさん。またいろいろと訪れたいです。
石津神社