【大阪】国宝と重要文化財がたくさん!「女人高野」としても知られる天野山金剛寺(河内長野市・御朱印)
河内長野の有名なお寺といえば、ここか観心寺ですね。金剛寺もわりと近い場所にあるのになかなか行けていなくて、ようやく参拝できました。そしてここ、すごく良かった!好きなお寺になりました。
公共交通機関で行くならば、南海高野線河内長野駅からバスで。南海バスに乗り、バス停「門前」または「天野山」下車。
観心寺も延命寺も、それぞれ山に囲まれた非常にのどかな場所でしたが、金剛寺も負けてはいません(笑)。
受付は2カ所あり、本坊と伽藍、それぞれで受付します。私は本坊の方から行きました。門前バス停で降りると本坊に近く、天野山バス停で降りると伽藍に近いですね。
本坊伽藍共通券400円を支払い、中へ。別々だと、伽藍200円、本坊300円です。
天野山金剛寺は、奈良時代の天平年間(729~749年)に、聖武天皇の勅願により行基が開創したと伝わる、真言宗御室派のお寺です。平安時代には、弘法大師空海も修行したそう。
昔女人禁制だった高野山に対し、ここは女性も参詣できたため、「女人高野」とも呼ばれます。「女人高野」は他にも高野山女人堂、慈尊院、室生寺があり、日本遺産にも登録されました。
鎌倉時代の終わりに、金剛寺は、後醍醐天皇の倒幕に味方した当地の武将楠木正成が戦勝祈願を依頼したり、学頭禅恵と後醍醐天皇の腹心文観との関係から、南朝方と深く結びつきました。南朝の後村上天皇が正平9年(1354)から5年にわたり、子院の「摩尼院と「食堂〔じきどう〕」を行宮*としました。その間、3年あまり、京都から連れ去られてきた北朝の三上皇(光厳・光明・崇光)及び直仁親王が、子院「観蔵院」に幽閉されたことがありました。また、次の長慶天皇も文中2年(1378)から4年余り行宮とし、足利幕府軍と対峙しました。
*天皇が行幸のとき、旅先に設けた仮宮(仮の御殿)。(公式HP「歴史 | 天野山金剛寺」より)
そして、なんといっても、宝物類の宝庫でもあります。国宝5件、重要文化財29件を有しているのだとか。
歴史的にも重要な役割となってきたお寺だったことがうかがえます。
まずは本坊を拝観。
↑こちらから入ります。客殿や宝物館、そして北朝御座所の奥殿が拝観できます。
↑客殿に入ると、このように素晴らしい庭園が。美しいなぁ。残念ながら、大玄関の工事中のため、ところどころ景観が残念なのですが、工事の間は仕方ありません。
↑工事がなければもっと良かったはず!広くて、心の落ち着く庭園です。
↑奥殿の格調高い雰囲気に、魅了されます。
↑素敵な空間でした。弘法大師空海の肖像画も飾ってありました。
この日は人がほとんどいなくて、ほぼ貸し切り状態で拝観でき、贅沢な時間でした。宝物館も小さいながらなかなか興味深い展示が見られましたよ。
本坊の拝観を終え、伽藍の方へ向かいます。
↑境内には小さな川が流れていて、橋が4つ(だったかな?)架けられています。ここも風情があり、良い雰囲気。
伽藍の入口に着きました!
↑楼門。重厚感があり、圧倒されます。重要文化財指定、鎌倉時代の再建です。
楼門をくぐってすぐの所に、受付があります。納経所もこちらです。
↑右側に食堂、金堂。左手には多宝塔。この境内の建物がほぼ重要文化財ではないかと思うほど、重文のオンパレードで驚きました。
↑食堂(重要文化財)。鎌倉時代創建、室町時代前期の再建です。天野殿とも呼ばれます。後村上天皇が1354年(正平9年)から、正庁とされました。
↑金堂(重要文化財)。この中には、御本尊の大日如来さまがいらっしゃいます。大日如来坐像を中心に、両脇には不動明王坐像と降三世明王坐像。三体の仏像は全て国宝です!そして、大日如来は像高313.5㎝という、とても大きな仏像。
普段はお目にかかれませんが、定期的にご開帳されています。私も春の公開に行きたかったのですが、コロナで中止になってしまって(泣)。次の公開でぜひとも見たい!
↑金堂を正面から。
↑経蔵(重要文化財)。
↑宝蔵(重要文化財)。
↑美しい多宝塔(重要文化財)。平安時代の創建で、豊臣秀頼による修理の際に大改造されたそう。
↑階段正面が五佛堂、渡り廊下の先にあるのが御影堂と観月亭です。
五佛堂は、御本尊の五智如来(大日如来・阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来)が祀られています。五智如来は重要文化財。
↑御影堂(重要文化財)。
↑観月亭。後村上天皇が月見をされたそうな🌝
↑五佛堂の隣には、薬師堂(重要文化財)。
↑この上に、新四国八十八カ所霊場がありますが、台風による倒木で、閉鎖されていました。一巡約40分だそうです。
↑宝具蔵(重要文化財)。
↑開山堂(重要文化財)。
↑御影堂の裏、上に登ると、光厳天皇陵がありました。こんな所に天皇陵?と思いましたが、ここは分骨所だそうです。
↑上から金堂と多宝塔を見渡す図。
↑楼門入ってすぐの左手には池があり、その奥に竜王三社が並んでいます。それぞれ小さなお社ですが、この三社ともこれまた重要文化財というのだからすごい。
↑弁財天社(重要文化財)。
いやあ、重要文化財ばかりで圧倒されました。広くて見ごたえ十分、しかしどこか穴場感があって、居心地が良く、とても気に入りました。
↑青い空にピンクが映えます。春は桜の名所でもあるそうですよ🌸
御朱印帳は数種類あり、私はこの、国宝デザインの御朱印帳が欲しくて♡
↑こちらです☆彡素敵!国宝「日月四季山水図」の右隻がモチーフになっています。左隻デザインもあり、迷いました。なんと作者が不明という、謎の国宝です。
こちらも、定期的に公開されているようなので、ぜひお目にかかりたいものです。
天野山金剛寺の国宝↓
↑その御朱印帳に、書き入れていただいた御朱印。「大伽藍」です。
ぜひまた行きたいお寺となりました。次の国宝公開は、無事開催されますように。
天野山金剛寺
【滋賀】昔ながらの風景が残る水郷の町、八幡堀をぶらり(近江八幡市)
滋賀・近江八幡一人ぶらり歩き。
日牟禮八幡宮の辺りには、八幡堀(はちまんぼり)というエリアがあります。
昔ながらの街並みが残り、水路がある水郷の町。近江商人のふるさとでもあります。
私は今回、ここに時間をかけなかったので、あまりじっくりとは回れませんでしたが、短時間の滞在でも風情を感じることができました。
↑この日は良いお天気。川面に写る空が絵になりました☺
↑夕方近く、人もあまりいなくて静かでした。一人で静かに、景色を眺めます。
船に乗って水郷巡りもできます。私はしませんでしたが。
九州出身の私は、水郷の町といえば、福岡の柳川を思い出します。しかし、柳川に行ったのは中学生の頃の1回だけでした😅もう、記憶もかすかにしかありません(笑)。あとは、中国で上海郊外にいくつか水郷の町があるし、蘇州も行ったなぁ。
で、この八幡堀。
安土桃山時代に豊臣秀次が八幡山城を築城した際、市街地と琵琶湖を連結するために造られた。城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と、当時の物流の要であった琵琶湖の水運を利用する商業的役割を兼ね備えた。八幡堀により船や人の往来が増えたことで商業が発達し、八幡山城廃城後の江戸時代には、近江商人(八幡商人)による町の発展に大きな役割を果たした。町は大阪と江戸を結ぶ重要な交易地として発展し、堀沿いには裕福な豪商たちの白壁の土蔵や旧家が建ち並ぶ。
(「八幡堀 - Wikipedia」より)
↑カンザス州レブンワースは、近江八幡市と兄妹都市だそうです。それは、ヴォーリズという人の出身地だから。
アメリカから英語教師として近江八幡に来たウィリアム・メレル・ヴォーリズは、建築家でもあり、多くの洋館建築を残しています。また、メンタームで知られる近江兄弟社の創業者でもあるのですね。日本国籍も取得しています。
↑このような、昔ながらの街並みが残ります。
↑森五郎兵衛邸。中には入れませんでした。
↑近江商人のふるさとです。
↑魚屋町と書いて、うわいちょうと読むらしい。このように、ユニークな町名がたくさん見られました。なんとなく、北京の胡同を思い出しちゃいました。胡同も昔ながらの街並みで、それぞれの胡同の名前がユニークだったなぁ。
↑近江兄弟社の本社も、八幡堀にあります👀知らなくて、歩いていたらいきなり目の前に現れて、そうかそうかーと一人で感動していました(笑)。1階の資料館に入りたかったけれど、このタイミングはすでに閉まっていて入れず残念。メンターム製品には、よくお世話になってます!
風情のある街並みを、マイペースに散策して楽しめました。
が、個人的にはもっと、一人でも入れて時間を過ごしやすいカフェやショップがもっとあってほしかったなぁ、なんて思いました。私が見つけられていなかっただけかもしれませんけれどね。
良い感じのカフェでまったりでもできたら、もっとこのエリアが好きになったのにな、なんて。
飲食店は何軒かありましたが、なんとなく一人で入りにくくて。まあ、コロナのまん延防止重点措置中ということもあり、時短営業や休業のお店も多かったみたいです。アルコールの提供も自粛されていたし。
それにしても、夕方過ぎ頃までは開いていてほしかったけれど、やっと行きたいカフェを見つけたと思ったら既に閉店していたり。
八幡堀に限らず、今回の近江八幡一人ぶらり旅は、食事にとっても困りました(苦笑)。まあ、まん防中に来る方が良くないのですけど…。
まん防中で仕方ない点はあるにしろ、そもそも一人で入りやすいお店が少ないなぁーという印象が否めずでした😅
滋賀はまだまだ行ったことのないエリアばかりなので、遠くはないし、また近々開拓しに来たいです♡
【滋賀】長命寺参拝の後は、温泉でまったり&琵琶湖を眺めながらお食事。長命寺温泉 天葉の湯(近江八幡市)
滋賀・近江八幡一人ぶらりの続き。
長命寺で808段の石段を往復し、汗ダラダラ、膝はガクガクです😅その前には安土城跡に登山もしたし、普段運動不足の私はさすがにヘトヘト~(笑)。
長命寺の目の前には、琵琶湖湖畔に「長命寺温泉 天葉の湯」という温泉が!もうこれは温泉に入るしかない、と、長命寺から降りてきてそのまま駆け込みました♨
↑長命寺の目の前には、長命寺港。広い琵琶湖の、南東エリアに位置します。
↑湖のあっち側がどうなっているのか、広すぎて見えません。さすが日本一大きな湖。
↑こちらが、長命寺温泉 天葉の湯♨ 夏休みシーズンなのでやはり家族連れが多かった印象ですが、混んではおらず、一人でも過ごしやすかったです。
入口には、たくさんの芸能人の写真やサインが飾ってありました。阪神選手も何人か⚾ローカルテレビの取材も多そうですね😆
随分綺麗な建物だなぁと思ったら、2020年4月にリニューアルオープンしたばかりなのだそう。内部も清潔でとても綺麗でしたよ。
入浴料は、大人平日1000円、土日祝1200円。私が訪れたのは平日、1000円でかなり満喫しましたー♨
温泉は、7つの浴種と2つのサウナが楽しめます。高濃度炭酸泉の温泉がすごく気に入って、ずっと入っていました( ´艸`)お肌もすべすべになった気がするし。他には寝ころび湯、電気風呂、露天風呂、サウナなど。シャンプー類やスキンケアなどもわりと充実していました。
入浴後は、2階の休憩スペースへ。リクライニングチェアとTVあり。それぞれ好きなようにまったり過ごせます。
そして、休憩スペースの隣のお食事処へ。屋内は畳スペース、そしてウッドデッキのテラス席があります。
私は琵琶湖が見えるテラス席に座りました。
↑目の前に琵琶湖を望みながら、近江牛しゃぶしゃぶうどん(1320円)。
お肉が柔らかくて美味でした。
コロナのまん延防止等重点措置中のため、アルコールの提供は自粛されており、ドリンクはウーロン茶に。
↑ウッドデッキから琵琶湖を眺める。
長命寺からこの温泉に駆け込んだのは、大正解でした♨
コロナで一部営業縮小されていたものの、十分にリラックスできました。疲れた体がほぐれました☺
ここは結構良かったなぁ。また来たいくらい。
まあ大半が車で来ている人だと思いますが、私のようなバスで来た人は、帰りのバスの時間はチェックしておいた方が無難です。
↑暮れゆく琵琶湖。
次は、違う場所から琵琶湖を眺めに来たいなぁ。
長命寺温泉 天葉の湯
【滋賀】808段の石段を登れば、眼下に琵琶湖が広がる!西国第31番のお寺、長命寺(近江八幡市・御朱印)
滋賀・近江八幡一人ぶらりの続き。
ブログの記事の時系列がバラバラになっていますが、この日は安土城跡(摠見寺)→信長の館→沙沙貴神社→長命寺、と、マイペースに回りました。
滋賀に来たからには、琵琶湖へ行きたい。…と、琵琶湖の湖畔に、長命寺という西国三十三所第31番のお寺があると知り、ぜひとも行かなければ!と向かいました。
JR近江八幡駅から長命寺行きのバスに乗り、終点で下車。ちなみに長命寺行きのバスはラ・コリーナ前にも停まるのですが、私以外の乗客は皆、ラ・コリーナで降りました(笑)。西国のお寺なのに、夏休みシーズンなのに、長命寺へ行くのは私一人(´・ω・)
ちなみに私は今回、ラ・コリーナには時間がなくて行きませんでした。ぜひ次こそは、バウムクーヘンを食べるのよっ!
ラ・コリーナはこんなところ↓
乗客が私一人となったバスに揺られて、終点で降りると、目の前には琵琶湖。琵琶湖を目にするのは初めてでした。
そして、その琵琶湖のすぐそばに立つのが、目的地である西国第31番札所のお寺、長命寺。
縁起の良さそうな名前で、家族と愛犬と私の長寿を願おうと、ルンルン気分で参拝しようとすると…。
↑こちらが入口。その先には、なんと808段の石段が待ち受けていたのでした。
808段て!!
安土城跡でヒーヒー言いながら登山してきたばかりなんですけど(笑)。
最近思い出す中で、階段がきつかった場所と言えば千早城跡ですが、あれでも約560段でした。紀三井寺は231段、あれは可愛いものですね😅
もちろん引き返すわけにはいかないので、登りました。自分との戦いでした(笑)。
山の中なので木々に囲まれ、直射日光は当たらないといえ、季節は真夏。ちょっと登るだけで汗がとめどなく流れます。
それだけでなく、虫はまとわりつくし、マムシは出るし、見たこともないような綺麗なブルーのトカゲさんにも会うし(無理)。虫や爬虫類が大の苦手な私は、それらをよけるのにも必死でした😅
さらに、石段が整備されているとはいえ、山の中を歩くので、熊や猪が出たらどうしよう…と思うと、ビクビクでした(笑)。
↑ここが何段目くらいなのか、全く分かりません(笑)。
やっとの思いで600~700段くらいまで来ると、あれ、駐車場がある!?人も増えている。
ここまで駐車場でやって来て、石段をちょーっとしか登らない手があったとは…。
勝手に、なんだか裏切られた感を抱いてしまいましたよ💧
でも、808段を自らの足で踏みしめて参拝に来た自分は、きっとご利益があるはずだと思うことにしました(笑)。
でもそうだよね、お寺で修業って、楽なことではないのですから。西国巡礼にこのような難所があるのも、納得です。楽してすぐに行ける場所ばかり参拝してご利益をあやかろうだなんて、都合が良すぎるというものですね。808段の石段を登って、自らを戒めるきっかけにもなりました(+_+)
↑聖徳太子禮拝石、とあります。長命寺は、聖徳太子ゆかりの場所でもあるのです。
車で来た人は、この辺りから石段を登ります。
↑ここまで来たら、もう本堂が見えています。
↑808段を登り切って後ろを振り返ると、眼下に琵琶湖が見えました。しばしの感動。
長命寺は、天台宗系単立のお寺。619年(推古天皇27年)に、聖徳太子が開いたと伝わります。山号は姨綺耶山(いきやさん)、なんだかインパクトのある名前です。
御本尊は千手十一面観世音菩薩。千手観音、十一面観音、聖観音の三尊のことで、聖徳太子が刻んだとされる秘仏です。
(参考:長命寺 - Wikipedia)
↑本堂。室町時代、1524年(大永4年)の再建だそう。
↑本堂の入口側から。奥には三重塔が見えます。どちらも重要文化財に指定されています。
↑本堂にて。秘仏なので御本尊を直接見ることはできないため、こちらで手を合わせました。
↑本堂の裏に回ると、開闢長寿大神武内宿禰大将軍御足跡、とあります👣
↑六処権現影向石。武内宿禰がここで祈願し、300歳以上の長寿を得たらしい…さ、300歳!?
↑こちらが、その石です。落ちそうで落ちない不思議な形、確かにパワーを感じる巨石です。
↑三佛堂(右)と、護法権現社が本堂から連なっています。
↑護法権現社。武内宿禰を祀ります。
↑三佛堂。
もとは元暦元年(1184年)に佐々木定綱が建立したもの。今の建物は永禄年間(1558年 - 1570年)の再建と推定されるが、江戸時代の寛政5年(1793年)に改造されている。堂内に釈迦如来立像・阿弥陀如来立像・薬師如来立像の三仏を安置する。
(長命寺 - Wikipediaより)
↑太郎坊権現社。長命寺の総鎮守です。鳥居横の階段を上ると、鐘楼へ行けます。
↑鐘楼。1608年(慶長13年)建立、重要文化財指定です。
↑三重塔。こちらも重要文化財指定、1597年(慶長2年)の再建です。渋めの朱色が個性的で素敵です。
↑もう一度、琵琶湖を見渡しました。
御朱印を3種類いただきました。
↑右から、西国第31番「大悲殿」、左上に西国草創1300年の記念スタンプが押してあります☺隣は「三佛堂」、そして聖徳太子御遺跡第35番「聖徳太子殿」。
石段は大変だったけれど、行ってよかったです。山の中で、神秘さと荘厳さを感じるお寺でした。
さあ、808段を登って来たので、また808段を降りなければなりません。下りも、虫やらマムシやらトカゲやらに遭遇し、一人でヒーヒー言いながら一段ずつ下りました。
地上に降り立つ頃には、膝が笑っていました…見事にプルプルです。
長命寺だけならまだマシだったかもしれませんが、ほぼ登山の安土城跡に行ったその日でしたから、余計こたえました😅
普段運動不足で運動嫌いの人間が、一日に詰め込んで張り切りすぎると、こうなるのですね(´Д`)翌日以降、両足がこれまでの人生で一番ひどい筋肉痛になりましたとさ。
【滋賀】豪華絢爛な安土城天守閣を復元!~信長の館(近江八幡市)
滋賀・近江八幡一人ぶらりの続き。安土町にて、安土城跡の後は、近くの「信長の館」という場所へ。レンタサイクルを5分くらい走らせ、到着です。
安土城跡はこちら↓
信長の館は、幻の安土城について学べる施設です。
↑パンフレットと、観覧券。観覧券の裏に、スタンプを押してみました。
入館料は大人610円。
館内で写真撮影はできますが、フラッシュは禁止。そして、写真の無断公開は禁止です✖ということで、SNSにも、ブログにも載せるのは我慢。
ただ残念なことに、ネットにはたくさん写真がアップされていますけどね…。インスタグラムでも。ちゃんと守っている人もいるのに、何だかなぁ…とは思いますが。
ということで、本記事の写真は上のパンフレット&観覧券の写真のみ。文字だけではなかなか伝わらないかもしれません😅
ここの目玉は、何といっても、原寸大に復元された、安土城の天守閣🏯天主の最上部5、6階部分が復元されており、これが金ピカに輝く、豪華絢爛なものなのです。6階部分には、金箔がなんと10万枚も使用されています。
この復元天主は、1992年、スペイン・セビリア万博の日本館のメイン展示として、制作されたもの。黄金に輝く外見ばかりに気を取られがちですが、約30坪(99㎡)の空間は、内部の装飾も細部まで緻密に再現されており、見入ってしまいました。
天主5階は仏教の世界観による理想郷を象徴しているそう。当時信長が、狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」も再現しています。
天主の内部には入れませんでした。
これだけ煌びやかで立派な安土城が、あっけなく焼失してしまったなんて。無常ですね…。
施設自体は広くはなく、すぐに見て回れます。
VR安土城シアターもあり、15分のショートムービーを上映しています。私は見ませんでしたが😅
天主以外に面白いなぁと思ったのは、食事の復元レプリカ🍚!「安土御献立」と呼ぶそうで、
「安土御献立」は1582年(天正10年)5月、織田信長が武田勝頼討伐に功をなした徳川家康や穴山梅雪を安土城にもてなしたときの饗応メニューである。
(安土城天主信長の館パンフレットより)
家康が食べたというこの御膳、レプリカを見ると、かなり豪華でした!品数は多いし、蟹もありました🦀
戦国グッズや信長グッズが買えるショップもあり、戦国好きさんはお土産調達にも良いかも。
安土城跡とセットで、時間があれば足を運んでみると、より理解が深まると思います。
安土城天主 信長の館
【滋賀】信長の夢のあと、安土城跡(日本100名城)と摠見寺。天下布武の御朱印がカッコよすぎる!(近江八幡市・御朱印)
滋賀・近江八幡一人ぶらりの続き。JR近江八幡駅から一つ隣の安土駅で下車し、北口に降り立つと、そこには…。
↑じゃーん!織田信長公の像がお出迎えです。
↑銅像の背後から。駅舎には、安土城の在りし日の姿を想像させる、巨大な壁画(?)が出現しています🏯
そう、この日の最初の目的地は、安土城跡🏯
安土駅からはやや距離があるので、駅前の「レンタサイクルたかしま」さんで、レンタサイクルを借りました。自転車だと約10分。料金は後払い、4時間使って1000円でした。うーん、ちょっと高いなぁ💦
自転車を地図に従って走らせ、到着。
↑このこんもりした小さな山がまさに、安土城跡がある場所です。標高199mの安土山。
周辺は田んぼなど非常にのどかな景色が広がり、かつてここにお城があり、あの信長がいたとは、なかなか想像がつきません(笑)。
↑手前の可愛いチャリンコが、この日の私のマイカー🚲
安土城は、織田信長が1576年(天正4年)に天下統一を目標に築城、3年後の1579年(天正7年)に完成しました。
しかし、その後本能寺の変、山崎の戦いが起こり、混乱の中城は焼失。みるみるうちに落城してしまいました。
現在は、安土城跡として整備されています。日本100名城でもありますね。
城郭内には、織田信長が自らの菩提寺として創建した、摠見寺(そうけんじ)というお寺があります。摠見寺は、主要な建物をほとんど焼失しましたが、重要文化財の三重塔と二王門はその姿を残しています。
摠見寺で拝観料を支払い、安土城跡を見学できるようになっています。
↑こちらから、いざ安土城(跡)へ🏯!城攻めじゃー!🏯(違う(´・ω・))
拝観料は、大人700円、子供200円。
摠見寺の御朱印もいただけます。こちらで御朱印を預け、帰りに受け取りますよー。
城を見学する際は、石段など結構体力を使うことが多いのですが、安土城も入口からなかなかのハードさを感じさせます。
所要時間は一周約45~90分。私はゆっくりめに回って、80分くらいだったかな。受付に杖が置いてあって、目の前に立ちはだかる石段にビビった運動嫌いの私は、杖を一応借りましたよ~(笑)。お城見学というか、ほぼ登山です⛰
↑この石段が、大手道。ここからスタートです。8月、季節は真夏。午前中の早い時間に行ったのでいくらかましでしたが、それでも汗ダラダラ。降りてきた時には、ミストを出してくれていました☺
↑大手道を上っていると、羽柴秀吉邸跡!
↑こちらは、前田利家邸跡!
↑またまた、豊臣秀吉邸跡!
信長のお城なのに、この時点でテンションが上がりますね~( ´艸`)
↑大手道を上っていると、足元にたくさん石仏がありました。
安土城址の大手道には、いくつかの石仏が見受けられる。
これらの石仏は、築城の際に大手道の石材として使われたものである。
城普請に使用する多くの石材は近郊の山々から採取したが、石仏や墓石なども含まれていた。
出土した石仏等は、本来は信仰の対象となっていたものだが、築城の経緯を示すために発見当時の状態で保存している。趣旨をご理解の上見学して頂きたい。
↑織田信澄(信長の甥)邸跡、森蘭丸邸跡。かなり登ってきました。
↑仏足石。
↑二の丸跡。
↑二の丸跡にある、織田信長公本廟です!信長のお墓と言われる場所は、全国にいくつもあり、ここもその一つ。
重臣・羽柴秀吉は天正十一年一月三法師に年賀を表すべく登城し、翌二月信長公ゆかりの安土城二の丸跡に太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して本廟とした。そして六月二日の一周忌には織田一族や家臣を集め、盛大に法要を行った。
(安土城跡摠見寺パンフレットより)
↑本丸跡です。
↑ようやく、天守閣跡に到達です🏯あれ、ここでは天”主”閣と表記するのですね。
普段運動不足の私には、ここまで登るのもこたえます(笑)。石段がきつかったお城と言えば、千早城といい勝負ですね(笑)。
↑最後の階段を上り、天守跡に着きました🏯ここに、豪華絢爛な天守閣が建っていたのだなと思うと、なんだか不思議な気持ちになります。現在はこの通り、礎石と石垣が残っているのみ。
↑天守跡からは、遠くに琵琶湖が見渡せます。信長も、この景色を見て、天下統一への思いを強くしていたのでしょうか。
石段を登ってくるのは疲れたけれど、ここまでくると疲れも飛びますね(^^)
天守閣跡エリアを後にし、まだまだ見所が続きます。
↑摠見寺本堂跡。
↑どーん、三重塔!屋根がこんなに間近で見られるなんて、迫力あります。この写真、ズームはしていません。
この三重塔は、重要文化財に指定されています。
室町時代の建物で棟柱に、享徳三年(1454)建立。天文二十四年(1555)修理の墨書きがある。
天正三~四年に信長公が甲賀の長寿寺(湖南市)から移建したものとされている。
(安土城跡摠見寺パンフレットより)
↑三重塔からは、西の湖がすぐ近くに見えました。
↑下からも。とても素敵な佇まいです。ずっと見ていても飽きません(笑)。
三重塔から、さらに下ると…。
↑なんて素晴らしい楼門!二王門です。こちらも重要文化財指定。
↑金剛力士像を近くで。
この楼門は、1571年(元亀2年)建立。こちらも三重塔のように、創建時に他の場所から移築してきたものだそうです。
いやぁ、お城の建物自体は残っていない城跡とはいえ、とても充実した時間が過ごせました。特に、摠見寺の三重塔と楼門は、かなり印象的です。
普段運動不足なので登城でクタクタにはなったものの、心地よい疲れを感じることができました(^^)
帰りに、受付で預けていた御朱印帳を受け取ります。いただいた御朱印はこちら!
↑見開きで、直書きしていただけます。天下布武。これはカッコいいです!
実は私、それほど信長ファンというわけでもなかったのですが(笑)、そんな私でもテンションが上がってしまいました。嬉しいなぁ。
オリジナル御朱印帳もありましたよ。
↑売店前にいた、飛びだし坊やのとびたくん。とびたくんは滋賀発祥なんですね!どうりで、とびたくんをよく見かけました。
この安土町バージョン、信長さんかな?( ´艸`)
↑マンホールは永楽通宝。
今回は見ませんでしたが、徳川家康邸跡には仮本堂が建っており、不定期に特別拝観を行っているそうです。
信長の夢のあとに思いを馳せられるひと時でした。
安土城跡・摠見寺
【滋賀】佐々木姓の発祥地!広い境内には見所がたくさん、沙沙貴神社(近江八幡市・御朱印)
滋賀・近江八幡ぶらりの続き。JR近江八幡駅から、隣の安土駅へ移動しました。
沙沙貴神社へ参拝。思っていた以上に、すごく良い神社でした!
「沙沙貴」、そう、ここは佐々木姓と関りが深い場所で、全国の佐々木さんが参拝に訪れるのだそう。私は佐々木ではありませんが、もし自分が佐々木だったら、もっとテンションが上がりまくっていたことだと思います( ´艸`)
↑最初に目に入ったのが、こちらの社標と鳥居。しかし、ここは正式な参道ではなかったのでした。少し歩くと…。
↑こちらが、正門鳥居です。こちらの方が大きいー!
↑参道が続きます。この石に彫られた、4つの四角は何を意味するのだろう?その答えは後ほど。
↑正面鳥居には、「佐佐木大明神」。そう、ここは佐々木さんと縁のある神社なのです。それにしても、この「佐佐木大明神」、私の頭の中には元メジャーリーガーの大魔神佐々木投手が登場(笑)。大魔神感ありませんか?この上から見下ろす存在感(笑)。
↑参道を進んでいくと、立派で渋い佇まいが素敵すぎる楼門が迎えてくれました。
↑楼門を近くで。この楼門は、1747年(延享4年)の再建。扁額「沙沙貴神社」は、有栖川熾仁親王の筆だそうです。それにしても立派な楼門。楼門を目にした瞬間、この神社が好きになりました☺
↑楼門前にあった、男石と女石。
↑こちらは女石。「男は女石まで 女は男石まで 目をとじてあゆみます 出逢い 縁結びをお祈りください」だそうです。
↑楼門をくぐって、お邪魔します。
↑目の前には、広い境内が開けていました。ああ、ここの雰囲気も好きだなぁ。
こんなに大きな神社だとは思っていませんでした。佐々木じゃなくても、テンションが上がります(笑)。
創建については伝説なのですが、少彦名神(すくなひこなのかみ)が、小豆に似た豆「ササゲ」のさやの船に乗って海を渡り、当地に降り立ったのが沙沙貴神社の始まりと伝わっているそうです。豆の船…可愛い…(笑)。
沙沙貴神社は、佐々木源氏ゆかりの場所。日本でも多い名字の「ササキ」さん、その佐々木姓の発祥の地がここだなんて、面白いですね~!
佐々木姓は、宇多天皇流れをくむ宇多源氏から来ているのですね。そして、佐々木姓は六角、京極、黒田など、220余に分流しているとのこと。あの名字も元をたどれば佐々木だった、なんて発見もありそうですね。
そうそう、鳥居をくぐる前から気になっていた4つの四角は、沙沙貴神社の神紋「平四ツ目」。佐々木系の家紋に、似たような家紋がよく見られるようです。
(参考「目結紋 - Wikipedia」)
↑手水舎。龍の口から水が流れています🐉
↑境内をぐるりと、回廊が囲んでいるのも素敵な造り。こちらは東回廊。
↑西回廊。
↑拝殿。
↑拝殿の後ろには、重厚感のある本殿。日牟禮八幡宮でもそうでしたが、拝殿越しではなく、本殿に直接手を合わせられるのは嬉しいですね。
御祭神は、少彦名神(すくなひこなのかみ)、大毘古神(おおひこのかみ)、仁徳天皇(おおさきのすめらみこと)、宇多天皇(うだのすめらみこと)、敦實親王(あつみのみこ)の四座五柱(よんざいつはしら)。総称して、佐佐木大明神と呼ぶそうです。
↑少彦名神がこちらに。豆の船に乗って当地に降り立ったという伝説から、その天之羅摩船(あめのかがみのふね)を表している様子。
↑権殿。佐々木源氏ゆかりの人や、陸軍大将・乃木希典を祀っています。乃木さんも佐々木一族ですって👀
↑乃木大将手植の松、がありました。
↑さらに奥にも何かあります。広い広い。
↑境内社が並びます。
↑十二支の石像がずらり。どれも可愛いです♡
↑犬が特に可愛い🐶子犬がちょこんとあごのせしているのがたまりませんね♡私が犬を飼っているからか…( ´艸`)
↑今年は丑年、牛さんはなんとも言えない表情(笑)🐮
↑十二支石像の目の前には、たくさんの植物が。私が訪れたのは8月なので、花はほとんど咲いていませんでしたが、花が咲く季節はもっと素敵だろうなぁ。
↑境内には、呑月の庭という名前の庭園もあります。
↑ここにちょこちょこと咲いている、小さな紫の花。これが、瑠璃柳という花だと初めて知りました。
↑沙沙貴神社の植物といえば、一番の目玉は何と言ってもこちら!なんじゃもんじゃ、です。なんじゃもんじゃの木、初めて見ました!なんじゃもんじゃは通称で、ヒトツバタゴという木だそう。
ネットで、満開に花を咲かせている写真を見ましたが、積もった雪のような白くふわふわの花なんですね~。雪に覆われているように見えて、なんだか不思議な魅力を感じました。次はぜひ、花を咲かせているところを見てみたいものです。
社務所で御朱印をいただきました。通常御朱印と、季節の御朱印です。どちらも書置き。
↑左の季節の御朱印は、その時々で境内に咲いている花がモチーフになっています。私が拝受したのは、瑠璃柳☆彡 境内で瑠璃柳が咲いている場所を教えてくれました。
今回近江八幡で訪れた神社は、ここ沙沙貴神社と、日牟禮八幡宮の2社のみでしたが、どちらもすごく好印象で、好きな神社となりました☺次回また参拝できる時を楽しみにしています。