【和歌山】世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」熊野三山の一つ・熊野速玉大社(新宮市・御朱印)
和歌山県新宮市にある、熊野速玉大社へ初めて行ってきました。言うまでもなく、和歌山の観光地の中でも特に有名な場所の一つですね⛩
熊野三山として、熊野本宮大社・熊野那智大社と共に、全国の熊野神社の総本宮として古来から厚い信仰を集めてきました。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として、高野山や吉野などと共に登録されています。
同じ和歌山県に住んでいながら、遠くてなかなか行くタイミングがなかった熊野速玉大社。ようやく訪れることができて、感無量です!これで、熊野三山全て訪れることができました。
それにしても、同じ県内なのに車で3時間以上かかりましたよ🚙ちなみに、電車ではどうかなと調べてみたら、なんと7時間!同じ県内なのに、こりゃ日帰りは無理ですね😅ゆっくり1泊するのも良さそうです。
早速参拝へ。駐車場も拝観料も無料でありがたいです。
↑こちらの小さな橋を渡り、境内へ。
↑朱塗りがまぶしい鳥居。両部鳥居ですね!
↑熊野速玉参詣曼荼羅。へぇ、ここに曼荼羅の世界が!面白いです。
↑御神木の梛(なぎ)に圧倒されます。樹齢千年だそう。
御神木「梛」なぎ - 熊野速玉大社公式サイト|和歌山県新宮市鎮座 根本熊野大権現 世界遺産
↑こんなに高い位置にいる狛犬さんは、初めて見たかも。
~熊野速玉大社の御由緒~
神代の頃、熊野の神々が神倉山のゴトビキ岩に降臨。その神は、熊野夫須美大神(クマノフスミノオオカミ、イザナミノミコト)と熊野速玉大神(クマノハヤタマノオオカミ、イザナギノミコト)の夫婦神でした。
「熊野権現御垂迹縁起」(一一六四年長寛勘文)はじめ諸書によると、熊野の神々は、神代の頃、まず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨され、その後、景行天皇五十八年、現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり、「新宮」と号したことが記されています。
(「熊野速玉大社公式サイト|和歌山県新宮市鎮座 根本熊野大権現 世界遺産
」より)
景行天皇と言われても西暦でどのくらい昔なのかピンときませんが…第12代天皇です。
上述の、神倉山のゴトビキ岩は、摂社の神倉神社となっています。そちらにも行きましたので、別で記事にします。
主祭神はもちろん、熊野夫須美大神と熊野速玉大神。第一殿から第十三殿まで、たくさんの神様が祀られています。二千年の歴史を紡いできたのですね。
↑神門。ここをくぐると…。
↑わぁ、と思わず声をあげてしまいそうな、視界に広がる長い社殿。この空間が、とっても素敵でした。しばらくここに佇んでいたくなるような、すがすがしさを感じました。
↑鮮やかな朱色の拝殿。
↑太い注連縄が迫力大です!
↑社殿が連なり、絵になるなぁ。私の写真はド下手ですが。
↑驚いたのが、鳥羽上皇、二十三度!後白河上皇、三十三度!後鳥羽上皇、二十九度!
す、すごい…。それほど、熊野には人を引き付ける力があったのでしょうね。
↑新宮神社。
↑武蔵坊弁慶像。木彫りです。
ちなみにここは、国宝を含む神社の宝物を展示する神宝館なのですが、老朽化工事の為現在は休館中です。見たかったなぁ、残念。
国宝・古神宝 - 熊野速玉大社公式サイト|和歌山県新宮市鎮座 根本熊野大権現 世界遺産
↑干支の大絵馬。宮司さまの絵だそうです!
↑君が代に登場する、さざれ石。
御朱印をいただきました。
通常御朱印と、令和四年限定御朱印があり、令和四年の方をいただきました。
↑社殿が描かれた書置き御朱印です。神倉神社とセットでの授与となっていました。
熊野速玉大社でたっぷりパワーをいただいて、境内の外にある、神倉神社へと向かいます⛩
熊野速玉大社
★世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」訪問記★